
ヴァザーリ『芸術家列伝』1791年版の挿絵に描かれたペンニの肖像
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1495–1528年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 盛期ルネサンス
ジャンフランチェスコ・ペンニ
フィレンツェ出身の画家。少年のころからラファエロの工房に入り、「イル・ファットーレ(下働き)」と呼ばれた。ジュリオ・ロマーノとともに師の第一の協力者となり、1520年の師の没後は工房を継いだ。
略歴BIOGRAPHY
生涯
『イタリア人名事典』(A. ビシェーリア、2015年)によれば、15世紀の最後の10年にフィレンツェで生まれたとみられ、1494年3月11日の洗礼記録がペンニのものである可能性も論じられている。ルーヴル美術館は生年を1495年頃とする。ヴァザーリとバルディヌッチによれば、「イル・ファットーレ」の呼び名は、少年のころからラファエロの工房で下働きをしたことに由来する。1508年か1510年頃にローマに来たとみられ、ジュリオ・ロマーノとともに師の第一の協力者となった。1520年にラファエロが没すると、ジュリオとともに工房とヴァティカン宮殿のコンスタンティヌスの間の注文を受け継ぎ、ペルージャのモンテルーチェ修道院の《聖母戴冠》(1525年に引き渡し)の制作にも加わった。ジュリオが1524年にマントヴァへ去ったのち、1528年6月にマントヴァでの記録があり、やがてナポリへ移って、1528年かその直後にナポリで没した。
様式
同事典によれば、ヴァザーリはペンニが絵具で彩るよりも素描を好んだと伝えている。ヴァティカン宮殿のロッジャや、署名の間・ヘリオドロスの間の一部の仕事に加わり、システィーナ礼拝堂のタペストリーの下絵《奇跡の漁り》の原画もペンニの作とされる。カーヴァ・デ・ティッレーニの《降誕》では、ラファエロの数多くの変奏を、ときに食い違いも残す、より単純な画面にまとめている。
代表作
ルーヴル美術館の板絵の《青い冠の聖母》(1512〜1518年頃)は、かつてラファエロの作とされ、館は現在ペンニの作としている。事典は、カーヴァ・デ・ティッレーニの《降誕》をほぼ一致してペンニの作と認められる作品として挙げる。ヴァティカン美術館によれば、コンスタンティヌスの間の《ミルウィウス橋の戦い》などの壁画は、ジュリオ・ロマーノとペンニが率いる工房が描いた。
影響
同事典によれば、ペンニはナポリへ移る際にラファエロの《キリストの変容》の模写を携えていった。ラファエロの工房の第一の協力者として、師の没後もその様式と仕事を受け継いだ画家である。