
ウフィツィ美術館に、アンドレア・デル・サルトの自画像として伝わる肖像
Wikimedia Commons / ウフィツィ美術館 / Public domain- 生没年
- 1486–1530年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 盛期ルネサンス
アンドレア・デル・サルト
16世紀初めのフィレンツェを代表する画家。仕立屋の父の職からデル・サルトと呼ばれた。レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロに学んで均衡のとれた祭壇画を描き、ヴァザーリに「誤りのない画家」と呼ばれた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
本名はアンドレア・ダニョーロ。『イタリア人名事典』によれば、1486年にフィレンツェで仕立屋の子として生まれ、「デル・サルト(仕立屋の)」の呼び名は父の職に由来する。7歳で金細工師のもとに入り、のちにピエロ・ディ・コジモの工房で絵を学んだ。フランチャビージョと共同の工房を構え、サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂の「誓願の回廊」やスカルツォの回廊にフレスコを描いた。1517年にルクレツィア・デル・フェーデと結婚し、1518年にはフランス王フランソワ1世に招かれて翌年までフランスに滞在した。1530年、包囲戦に続いて流行したペストのためフィレンツェで没した。
様式
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、レオナルド・ダ・ヴィンチのスフマートを、より生き生きとした暖かな色に置き換えた。レオナルドとラファエロを手本に早くから独自の様式を築き、フラ・バルトロメオや北方の美術からも学んだ。ウフィツィ美術館によれば、ラファエロのピラミッド形の構図とミケランジェロの記念碑的な人物を調和させた均衡と形の制御にすぐれ、若い頃にその工房に出入りしたヴァザーリは「誤りのない画家」と呼んだ。
代表作
作品の中心は祭壇画で、ほかに小さな宗教画と少数の肖像画がある。代表作は祭壇画の《ハルピュイアの聖母》(1517年、ウフィツィ美術館)。ピッティ宮殿のパラティーナ美術館には二つの《聖母被昇天》がある。
影響
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、年下の同時代人で一時は弟子でもあったポントルモに大きな影響を与えた。ウフィツィ美術館によれば、その様式は16世紀のフィレンツェの画家たちに強く作用し、マニエリスムの誕生に欠かせないものとされ、17世紀までフィレンツェの手本であり続けた。