《安息の谷》
夕焼けの空の下、壁に囲まれた墓地で、袖をまくった修道女が鋤で墓穴の土をすくう。右では黒衣の修道女が腰を下ろし、ロザリオを垂らしてこちらを見つめる。足もとには花輪が置かれ、空には紫の雲がたなびく。
概要
《安息の谷》は、イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレーが1858年から1859年に描いた油彩画で、ロンドンのテート・ブリテンが所蔵する。縦102.9センチ、横172.7センチの横長のキャンバスで、現在は第8室に展示されている。所蔵館によれば、ミレーが自作の中でもっとも気に入っていた作品で、題と副題「疲れし者の憩う所」は、メンデルスゾーンの合唱曲《安息の谷(Ruhetal)》(作品59の5)からとられた。弟ウィリアムがこの歌を歌うのを聞いたミレーは、絵にぴったりだと感じたという。
画面の読み解き
所蔵館の解説によれば、主題は死である。墓穴、髑髏、葬儀の花輪、そして沈む日の最後の光に照らされた墓地の重く厳かな色がそれを示す。左の修道女は墓を掘っており、その墓穴は、見る者がその中で彼女と並んでいるように見える位置に置かれている。もう一人の修道女のロザリオには髑髏が付き、背景の夕空には、スコットランドの言い伝えで死の前触れとされる棺の形の雲が浮かぶ。館は、見る者は掘られる墓と、こちらを見つめる修道女によって自らの死を思うよう促される、と述べる。
技法・様式
所蔵館によれば、ミレーはある10月の夕方、夕焼けの美しさに打たれて大きなキャンバスを持ち出し、すぐに描き始めた。ラファエル前派の「自然への忠実さ」にならい、人物を含む画面の大部分を戸外で描いた。舞台は、妻エフィーの実家があったスコットランドのパースのボワーズウェルの庭である。エフィーは、夕焼けは二晩か三晩しか続かず、彼は稲妻のような速さで描かねばならなかった、と回想している。墓穴と墓石は、数か月後にパースのキヌール旧墓地で描き加えられた。
来歴
所蔵館によれば、修道女を描く構想は、1855年のスコットランドへの新婚旅行で生まれた。エフィーは、インヴァレリーからオー湖のほとりへ丘を下る途中、御者から島の修道院の廃墟の話を聞き、カトリックの絵になる魅力を思い描いた、と記している。制作に取りかかったのは、その3年後だった。本作はミレーの《春》(1856〜1859年、レディ・リーヴァー美術館)と対になるよう構想され、死をほのめかすだけの《春》に対し、本作ではそれをはっきりと主題にした。1894年にヘンリー・テートが寄贈した。所蔵館の記録では、2007年にテート・ブリテンで始まったミレー展、2012年の「ラファエル前派——ヴィクトリア朝の前衛」展などに出品された。
意義
所蔵館の展示ラベルは、死の痛みと悲しみにもかかわらず、題は死が人生の煩いからの憩いと限りない安らぎをもたらすという希望を示している、と結ぶ。ミレーのテート・ブリテンの作品には、ほかに《オフィーリア》や《1746年の放免令》がある。