クレジット方針 収録範囲について お問い合わせ
作品COLLECTION 画家ARTISTS 流派MOVEMENTS 時代PERIODS 所蔵MUSEUMS 様式史HISTORY 用語集GLOSSARY 検索SEARCH

《青い馬の塔》

Der Turm der blauen Pferde
《青い馬の塔》フランツ・マルク
Wikimedia Commons / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
フランツ・マルク
制作年
1913年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
200 × 130 cm
時代
20世紀
流派
表現主義
広告

縦長の画面いっぱいに、青い4頭の馬が正面から重なり合い、塔のようにそびえる。馬たちはそろって首を左へ曲げ、手前の馬の胸には星と三日月の形が白く浮かぶ。背後には黄色の空に虹の弧がかかる。

概要

《青い馬の塔》(独: Der Turm der blauen Pferde)は、ドイツの画家フランツ・マルクが1913年に描いた油彩画である。縦200センチ、横130センチのキャンバスに、4頭の青い馬を縦に重ねて描いた。ベルリンの国立美術館が所蔵したが、ナチス政権に退廃芸術として押収され、1945年から行方がわからない。ミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネは、「伝説的な表現主義の絵」と呼ぶ。

画面の読み解き

縦に長い画面いっぱいに、4頭の馬が正面から重なり合い、塔のようにそびえる。いちばん手前の馬が画面の下半分を占め、その背後に3頭の頭が上へ積み重なる。どの馬も首を曲げて頭を左へ向け、黒いたてがみが首筋を流れる。体は濃い青から白っぽい青までの面に切り分けて塗られ、いちばん上の右の頭だけが橙色を帯びる。手前の馬の胸には十字の星、腹には三日月の形が描かれる。左上には、黄色の地に橙と赤の縞の虹が弧を描く。左には桃色や黄、緑の岩山が角張った形で重なり、小さな円盤も浮かぶ。手前の馬の脚は画面の下端で切れ、足もとには橙と緑の草がのぞく。作品そのものが失われたため、今は失われる前の図版による複製でしか見ることができない。

技法・様式

キャンバスに油彩で描かれた。ミュンヘンのレンバッハハウス美術館の画家解説によれば、マルクは1910年に知り合ったアウグスト・マッケから純粋な色の大切さを学び、1911年のワシリー・カンディンスキーとの出会いを経て独自の様式を築いた。1911年から1914年の短い期間には、1912年にパリで訪ねたロベール・ドローネーの色彩豊かなキュビスムや、イタリア未来派の律動的な分割にも刺激を受けている。本作でも、馬の体は角張った色の面に分けられ、背景の虹や岩山と響き合う。同館によれば、マルクは動物に、けがれのない純粋な性質を見いだし、芸術に内面性と精神の浄化を求める探求を重ねた。

来歴

ベルリンのハウス・アム・ヴァルトゼーによれば、本作は完成してすぐ、1913年にベルリンのシュトゥルム画廊の「第1回ドイツ秋季サロン」に出品された。ベルリン国立美術館によれば、1919年に画家の未亡人から買い取られ、同年に開いた同館の新部門の目玉として、1936年に閉じるまでクロンプリンツェン宮殿で展示された。ドイツ連邦政治教育センターによれば、1937年7月7日に押収された。ミュンヘンの「退廃芸術展」に並んだが、数日で外された。マルクが第一次世界大戦で一級鉄十字章を受け、将校としてヴェルダンで戦死していたため、ドイツ将校同盟が抗議したからである。1938年からはヘルマン・ゲーリングの手にあった。戦後もベルリンで見かけられたというが、以来行方はわからず、どうなったかは明らかでない。

意義

ピナコテーク・デア・モデルネによれば、本作の色つきの下絵は、マルクが1913年の元日に友人の詩人エルゼ・ラスカー=シューラーに送った絵はがきにだけ残る。絵はがきはミュンヘンの国立版画素描館が持ち、画家の没後100年の2016年には、ピナコテーク・デア・モデルネの第10室で、ほかの21枚の絵はがきとともに展示された。2017年にはベルリンのハウス・アム・ヴァルトゼーとミュンヘンで、20人の現代の芸術家が、失われた本作の謎と行方に向き合う展覧会「行方不明!」が開かれた。