《マラーの死》
暗い壁を背に、頭に布を巻いたマラーが浴槽の中で息絶えている。垂れた右手には羽根ペン、左手には一通の手紙。胸の傷から流れた血が布を染め、床には小刀が落ち、脇の木箱には画家の献辞が刻まれる。
概要
《マラーの死》(仏: Marat assassiné)は、ジャック=ルイ・ダヴィッドが1793年に描いた油彩画である。縦165センチ、横128センチ。ブリュッセルのベルギー王立美術館が所蔵する。1793年7月13日、フランス革命の指導者の一人ジャン=ポール・マラーが、浴槽の中でシャルロット・コルデーに刺殺された事件を描く。ルーヴル美術館の解説によれば、パリ選出の国民公会議員だったダヴィッドは、暗殺の翌日に公会から制作を依頼された。新古典主義を代表する作品の一つである。
画面の読み解き
画面の下半分で、白い布を敷いた浴槽の中に、頭に布を巻いたマラーが首を傾けて息絶えている。右腕は浴槽の外に垂れ、手はまだ羽根ペンを握る。浴槽に渡した緑の布の板の上で、左手は一通の手紙を持つ。手紙には「1793年7月13日、マリー・アンヌ・シャルロット・コルデーより市民マラーへ」と書かれ、訪問の口実にした言葉が続く。胸の傷から流れた血が布と水を染め、床には血のついた小刀が落ちている。脇の木箱にはインク壺とペン、紙幣と書きつけがのり、箱の正面には「A MARAT, / DAVID」の献辞と署名、下の端に「L'AN DEUX(共和暦2年)」の年記がある。画面の上半分は、何もない暗い壁が占める。
技法・様式
ルーヴル美術館の解説によれば、粗く削った木箱は、マラーが説いた質素な暮らしを示している。垂れた腕や経帷子のような布、流れる血と刃物はキリストの受難と殉教を思わせ、構図はカラヴァッジョの《キリストの埋葬》に直接ならったものとされる。背景を空白のまま残し、光を手前の体と手紙、木箱に集めることで、画面は祭壇画のような静けさを帯びる。体は古代彫刻のように整えられ、暗殺の生々しさよりも、ペンと手紙を手にしたまま倒れた姿が強調されている。
来歴
ルーヴル美術館によれば、作品は1793年11月14日に国民公会に献じられ、やはりダヴィッドが描いた暗殺された議員ルペルティエの絵と対にして、公会の演壇の両側に掛けられた。工房では弟子による実物大の複製もつくられ、ルーヴル美術館のほか、ランス、ディジョン、ヴェルサイユに残る。所蔵館によれば、原作はパリのジュール=ダヴィッド・シャサニョルの1886年の遺贈により、1893年に同館に収められた。所蔵番号3260。2025年10月から翌年1月にかけては、ルーヴル美術館のダヴィッド展のためにパリへ貸し出されている。
意義
ダヴィッドは、同時代の政治的な事件を、古代の英雄や聖人の死と同じ格調で描き、革命の殉教者の像をつくりあげた。同時代の出来事を歴史画の格に高めた作品として知られる。所蔵館が2022年に開いた展覧会では、リエージュ大学の調査で絵具の下の素描が明らかにされ、ピカソやアイ・ウェイウェイら現代までの芸術家による本作の引用もあわせて紹介された。