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《アレクサンダー大王の戦い》

Alexanderschlacht
《アレクサンダー大王の戦い》アルブレヒト・アルトドルファー
Wikimedia Commons / アルテ・ピナコテーク / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
アルブレヒト・アルトドルファー
制作年
1529年
素材
菩提樹のパネル / 油絵具
寸法
158.4 × 120.3 cm
所蔵
アルテ・ピナコテーク (ヴィルヘルム4世の歴史画連作のうち5点を所蔵)
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数えきれない騎兵と歩兵が谷を埋め、その向こうに地中海とキプロス、ナイルの河口までが見渡せる。空には日と月が同時にかかり、戦いの顛末を記した板が浮かぶ。紀元前333年のイッソスの戦いである。

概要

《アレクサンダー大王の戦い》(独: Alexanderschlacht)は、アルブレヒト・アルトドルファーが1529年に描いた板絵である。縦158.4センチ、横120.3センチの菩提樹材のパネルに油彩。ミュンヘンのアルテ・ピナコテークが所蔵する。紀元前333年、アレクサンドロス3世がダレイオス3世のペルシア軍を破ったイッソスの戦いを主題とする歴史画で、北方ルネサンスを代表する一枚である。

来歴

バイエルン公ヴィルヘルム4世が1527年から1528年にかけて、ミュンヘンのレジデンツを飾る歴史画の連作を複数の画家に注文した。本作はその一点である。1800年、ほかの26点とともにフランスへ運ばれ、1804年まではルーヴルにあったが、皇帝となったナポレオンの所有となり、サン=クルーの浴室に掛けられていたと伝えられる。1814年にパリが陥落して取り戻され、1815年にバイエルン王マクシミリアン1世のもとへ戻った。ヴィルヘルム4世の連作のうち5点が、のちにアルテ・ピナコテークの所蔵となっている。パネルは時期は不明ながら四辺とも切り詰められており、もとは空がもっと広く、月は画面の中央寄りにあった。所蔵番号688。

画面の読み解き

数千の騎兵と槍を構えた歩兵が谷を埋める。よろいをまとったマケドニア勢に対し、ペルシア勢はターバンを巻き、鐙を用いずに馬に乗る。中央では戦車のダレイオスを、アレクサンドロスが馬で追う。戦場の向こうには地中海とキプロス島が横たわり、七つに分かれたナイルの河口が見える。西のアフリカとナイルには日が差し、東のバベルの塔は影に沈む。視点はどこにも実在しない高みにあり、画面の上端では水平線が丸みを帯びる。空から吊られた板には、討たれたペルシア兵の数と逃れたダレイオスのことが記される。文面は宮廷史家アヴェンティヌスによるものとされ、はじめはドイツ語、のちにラテン語に置き換えられた。板の下端には「レーゲンスブルクのアルブレヒト・アルトドルファー作」と署名がある。

技法・様式

人物一人ひとりは数センチにも満たないが、よろいの照り返しや旗の文字まで描き分けられている。敵味方を見分けられるよう、馬具にも小さな銘が入る。縦長の画面に地平まで収める構成は、風景画を得意とした画家ならではのもので、同じ主題の古代の《アレクサンドロスのモザイク》のような横長の図とは対照的である。

意義

制作された1529年は、オスマン帝国のスレイマン1世が第一次ウィーン包囲に失敗した年にあたる。同時代の批評は、アレクサンドロスの勝利をヨーロッパとオスマン帝国の対立に重ねて読んできた。日と月が同時にかかる異様な空は、『ダニエル書』の予言と終末の到来を思わせるとも説かれる。ルーヴルでこの絵を見たフリードリヒ・シュレーゲルは「小さなイーリアス」と呼んで驚嘆している。