《大使たち》
緑の垂れ幕を背に、天文の器具や楽器を並べた棚をはさんで、豪華な衣装の男と長衣の聖職者が立つ。二人の足もとには、斜めに引き伸ばされた奇妙な形が浮かんでいる。
概要
《大使たち》(英: The Ambassadors)は、ハンス・ホルバイン(子)が1533年に描いた油彩画である。縦207センチ、横209.5センチのバルト海沿岸産のオーク材の板絵で、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する。所蔵館の登録名は「ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴ(『大使たち』)」。フランス王フランソワ1世の大使としてイングランドに来ていたダントヴィルと、友人の司教セルヴを等身大で描いた二重肖像で、床に描かれた歪んだ頭蓋骨で知られる。北方ルネサンスの肖像画を代表する作品である。
画面の読み解き
緑のダマスク織の垂れ幕を背に、二人の男が棚をはさんで立つ。左のダントヴィルは毛皮で縁取った桃色のサテンの上着に黒いマントを重ね、首には聖ミカエル騎士団の金の鎖をかけて、手に短剣を持つ。右のセルヴは、裾まで届く茶色の長衣をまとう。棚の上段には天球儀や多面体の日時計などの天文の器具が並ぶ。下段には地球儀、弦が一本切れたリュート、割り算の頁を開いた算術書、「来たれ聖霊」と「十戒」の頁を開いたルター派の賛美歌集、一本が欠けた笛の箱がある。床はピンクと白の幾何学模様の大理石で、二人の足もとの間に、斜めに引き伸ばされた奇妙な形が浮かぶ。左上の垂れ幕の端には、なかば隠れて小さな十字架が留められている。
技法・様式
床の奇妙な形は、アナモルフォーシスと呼ばれる技法で描かれた頭蓋骨である。所蔵館によれば、正面からは何かわからず、画面の右下から見上げたときにだけ、正しい形に見える。所蔵館はまた、サテンや毛皮、ダマスク織、大理石まで、さまざまな質感を油彩で描き分けた画家の技量を強調する。棚の天文器具は、ヘンリー8世の天文学者ニコラス・クラッツァーが作ったものとされる。
来歴
所蔵館によれば、ダントヴィルはフランソワ1世の大使として2度目のイングランド滞在中で、友人のセルヴは南フランスのラヴォールの司教だった。ダントヴィルの短剣の鞘と、セルヴが肘をつく本の縁にはラテン語の銘があり、二人がそれぞれ28歳と24歳であることを示す。作品は短い滞在のあいだの二人の友情を記念するものと考えられている。同館は1890年に購入した。所蔵番号NG1314。
意義
描かれた1533年、ヘンリー8世は、教皇がキャサリン・オブ・アラゴンとの結婚の無効を認めなかったためにローマ・カトリック教会と決別し、アン・ブーリンと結婚していた。所蔵館は、弦の切れたリュートや欠けた笛を、宗教が分裂する時代の不和と調和の欠如を示すものと読み、頭蓋骨を命のはかなさを告げるメメント・モリ、垂れ幕の陰の十字架をキリストによる救いの希望とみる。学問と富と権力に囲まれた二人の姿に、死と救いの主題を忍ばせた肖像画である。