《ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像》
- 作者
- アルノルト・ベックリン
- 制作年
- 1872年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 75 × 61 cm
- 所蔵
- ベルリン旧国立美術館
- 時代
- 写実・印象派
黒い上着の画家が、絵筆とパレットを手にしたまま仕事の手を止め、何かに耳を澄ます。その肩の後ろの暗がりからは骸骨の死神が身を寄せ、弦が一本だけのヴァイオリンを弾いている。
概要
《ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像》(独: Selbstbildnis mit fiedelndem Tod)は、スイスの画家アルノルト・ベックリンが1872年にミュンヘンで描いた油彩の自画像である。縦75センチ、横61センチのキャンバスで、ベルリン旧国立美術館が所蔵する。所蔵館は、死を忘れるなと説く古いメメント・モリの主題に、新しい意味を与えた作品とする。
画面の読み解き
背景は黒く塗られ、場所を示すものは何もない。その闇の中に、黒い上着の画家の胸から上が描かれる。ひげをたくわえた顔と白い襟、絵筆を持つ右手とパレットを持つ左手が、闇から浮かび上がる。所蔵館によれば、画家は耳を澄ますように仕事の手を止めており、見る者には、物思いを誘うその旋律を奏でているのが死神だとわかる。画家の左肩の後ろには骸骨の死神が身を寄せ、ヴァイオリンを構えて弓を引く。死神が弾くのは最も低いG線で、それはこの楽器にただ一本張られた弦でもある。所蔵館の解説によれば、画家は死の出現に驚かず、その近さから逃げもせず、呼びかけに耳を傾けている。この死は創造の営みの敵ではなく、画家の手から絵筆を取り上げはしない。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、ベックリンは、同じバーゼルゆかりの画家ハンス・ホルバイン(子)による死の舞踏の図や、故郷バーゼルの名高い死の舞踏の壁画の名残を知っていた。バーゼルとミュンヘンの美術館では、死を思わせる絵や、画家と死を組み合わせた絵も見ていた。死神の着想の源は、1871年から画家が住んでいたミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある《ブライアン・テューク卿の肖像》とみられる。当時はホルバインの作とされた絵で、ホルバインの死の舞踏の木版画にもヴァイオリンを弾く死神が登場する。死神はあとから描き加えられたとする話も伝わる。友人たちに、何に耳を澄ませているのかと尋ねられて描き足したというが、真偽はわからない。
来歴
所蔵館によれば、本作はベルリンのアドルフ・フォン・リーバーマンの所蔵を経て、ルドルフ・レプケの競売会社で開かれた同家の売り立てに出た。さらにベルリンでの A. プリンス=ライヒェンハイムの競売を経て、バーゼルのラ・ロッシュ=リングヴァルトの手に渡った。1898年、所蔵館がそのコレクションから購入した。所蔵番号は A I 633。
意義
所蔵館の解説は、耳を澄ませて手を止める瞬間を、霊感の訪れる瞬間とみる。画家が好んで読んだ作家ジャン・パウルは、芸術家を、自らが耳を傾ける楽器になぞらえ、天才は風に鳴る竪琴の弦に似ていると書いた。本作が描かれた1870年代はショーペンハウアーの時代で、画家もときに引用したその悲観主義からも、本作は読み解ける。購入された1898年、雑誌『パン』は、本作は「メメント・モリ」ではなく「メメント・ヴィーヴェレ(生を忘れるな)」を響かせ、死神は画家にとって詩神たちの導き手に変わったと評した。本作は、ハンス・トーマやロヴィス・コリントが似た自画像を描くきっかけにもなった。