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《荒野の聖ヒエロニムス》

San Girolamo
《荒野の聖ヒエロニムス》レオナルド・ダ・ヴィンチ
Wikimedia Commons / バチカン美術館 / CC0 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
レオナルド・ダ・ヴィンチ
制作年
1481–1482年
素材
板(クルミ材) / 油絵具
寸法
103 × 74 cm
所蔵
バチカン美術館 (絵画館(ピナコテカ)第IX室)
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暗い岩山を背に、やせ衰えた老聖人ヒエロニムスが片膝を立ててかがみ、石を握った右腕を大きく横へ伸ばす。手前には輪郭だけのライオンが横たわり、左奥には霞む湖と山並みがのぞく。

概要

《荒野の聖ヒエロニムス》は、イタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチが1481年から1482年頃に描いた未完の板絵で、バチカン美術館の絵画館(ピナコテカ)第IX室に展示されている。館の記録では、板に油彩で描かれ、縦103センチ、横74センチ。所蔵番号は40337。館の学芸員グイド・コルニーニは、2022年の論文で、胡桃材の板に脂肪質のテンペラで描かれ、縦102.8センチ、横73.5センチとしている。

画面の読み解き

館の解説によれば、描かれているのは、神学者で聖書学者でもあり、382年から386年に福音書をギリシア語から、390年から405年に旧約聖書をヘブライ語からラテン語に訳した聖ヒエロニムスである。コルニーニによれば、聖人はわずかなぼろをまとい、ひざまずくというよりかがみこんで、当時の図像に例のない感情の張りつめた姿で表されている。右手には胸を打つための石を握り、左手は悔悛のしぐさで自分の体のほうへ向ける。顔は、言い伝えでは聖人の墓を示したという右の十字架を見上げている。十字架とライオンは数本の曲線を重ねただけの輪郭にとどまる一方、左手前に置かれた枢機卿の帽子や、空の靄のなかにそびえる岩山は細かく描かれている。右の岩の切れ目には聖堂の建物の下描きがのぞく。荒野、石、ライオン、枢機卿の帽子、十字架は、どれも『黄金伝説』が伝える聖人のカルキス滞在にちなむ。

技法・様式

館の解説によれば、本作はまだ下描きに近い段階にあり、部分ごとに仕上がりの度合いが違うが、きわめて質の高い素描と並外れた画技、とりわけキアロスクーロの部分に薄い絵具の層を重ねる技法の巧みさを示している。帰属が疑われたことは一度もない。館の修復部門の責任者フランチェスカ・ペルセガーティによれば、1992〜1993年に修復したジャンルイジ・コラルッチは、絵具が多くの場合指で伸ばされ、長い筆跡の終わりに指紋が残っていることに気づいた。これはルーヴル美術館やウフィツィ美術館のレオナルドの作品にも見られる技法である。

来歴

館の解説によれば、本作の出どころははっきりしない。ナポレオンの叔父ジョゼフ・フェッシュ枢機卿が偶然見つけたもので、言い伝えでは二つに分かれていた。実際には板は5片に切られている。コルニーニによれば、大きな下の部分は古道具屋で食器棚の扉に、頭のある四角い部分は靴屋の腰掛けの座面になっていたという。枢機卿の死後、1845年に相続人が競売にかけ、何度か売られたのち、館の解説によれば1856年に教皇ピウス9世が絵画館のために購入した。

意義

館の解説は、ウフィツィ美術館の《東方三博士の礼拝》との明らかな類似から、本作の制作を1481年から1482年と考えている。一方コルニーニは、年代がフィレンツェ時代とミラノ時代のあいだで揺れていると紹介する。ミラノ時代とみる立場は、背景の風景とルーヴル美術館の《岩窟の聖母》の類似や、ルドヴィーコ・スフォルツァの宮廷で行われた地質学と解剖学の研究との結びつきを挙げる。さらにコルニーニは、1490年頃に描き始められ、1510年頃まで手を入れ続けられた可能性にも触れる。弟子サライの1525年の財産目録にある「半裸の聖ヒエロニムスの絵」が本作にあたるとする見方もあり、そうであればレオナルドの死の時、本作はアンボワーズのクロ・リュセにあったことになる。2022年のクロ・リュセの展覧会は、その意味で本作がロワール川流域に戻る初めての機会とされた。