《刑務所の中庭(囚人の運動)》
煉瓦の壁に囲まれた狭い中庭の底を、囚人たちが輪になって歩いている。帽子をかぶらない一人だけが顔を上げてこちらを見る。右手では、シルクハットの男たちがその列を眺めている。
概要
《刑務所の中庭(囚人の運動)》(英: Prisoners Exercising)は、フィンセント・ファン・ゴッホが1890年2月、南仏サン=レミの療養院で描いた油彩画である。縦80センチ、横64センチ。モスクワのプーシキン美術館が所蔵する。ギュスターヴ・ドレの版画を下敷きにした模写で、ポスト印象派の画家が晩年に取り組んだ模写の中でも、よく知られた一点である。
画面の読み解き
高い煉瓦の壁が三方から迫る中庭で、大勢の囚人が輪になって歩く。壁は青緑と橙の短い筆触で積み上げられ、上のほうにアーチ形の小窓がいくつか開くだけで、空はほとんど見えない。囚人たちは帽子をかぶり、前の者の背を見てうつむいて進む。手前の中央で、帽子をかぶらない金髪の一人だけが顔を上げ、こちらへ視線を向けている。右端では、シルクハットに黒い外套の男が三人、立ち止まってその列を眺める。床の石畳には青と緑の筆触が斜めに走り、壁の上方には小さな白い蝶が舞っている。
技法・様式
原図は白黒の版画だが、ゴッホは色を自分で選び、壁と床を青緑と橙の対比で組み立てた。絵具を厚く盛った短い筆触(インパスト)が煉瓦の一つひとつ、石畳の一枚一枚に沿って置かれ、画面全体が同じ密度の線でおおわれる。構図はほぼ版画のとおりだが、壁はいっそう高く、人の輪はより窮屈に感じられる。療養院の外へ自由に出られなかったこの時期、ゴッホはミレーやドラクロワらの版画を手もとに置いて色で写し替えることを続け、弟テオへの手紙では、他人の作品を写す仕事を音楽家の演奏になぞらえている。
来歴
原図は、ドレが挿絵を描きブランチャード・ジェロルドが文を書いた『ロンドン巡礼』(1872年)の一図で、ゴッホはオランダの雑誌『デ・カトリーケ・イリュストラーシー』に載ったエリオドール・ピザンによる複製の木版をもとにした。1909年、モスクワの収集家イヴァン・モロゾフがパリのドリュエ画廊で1万7000フランで購入する。革命後は国有化されて第2新西洋絵画美術館へ、1923年からは国立新西洋美術館に移り、1948年にプーシキン美術館へ入った。所蔵番号Ж-3373。
意義
療養院に身を置く画家自身の境遇を、壁の底を回り続ける囚人の輪に重ねて読む見方は早くからある。こちらを見る一人の顔に、画家の面影を認める見方もある。単調な行進の上に小さな蝶を描き添えたことに、わずかな救いを読む解釈も知られる。自然を前にして描けなかった時期に、模写を自分の表現へ変えていったゴッホの姿勢をよく示す作品である。