《教皇パウルス3世とその孫たち》
- 作者
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
- 制作年
- 1545–1546年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 202 × 176 cm
- 所蔵
- カポディモンテ美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- ヴェネツィア派
ティツィアーノが1545〜1546年頃にローマで描いた油彩画。椅子に座る老いた教皇パウルス3世と、その孫の枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼ、身をかがめて近づくオッターヴィオの三人を描いた、未完の集団肖像画である。
概要
《教皇パウルス3世とその孫たち》(伊: Ritratto di Paolo III con i nipoti Alessandro e Ottavio Farnese)は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1545〜1546年頃に描いた油彩画である。深紅の幕を背に、椅子に座る老教皇パウルス3世と、その後ろに立つ枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼ、右から身をかがめて近づく弟オッターヴィオの三人が描かれている。依頼主ファルネーゼ家の権力と、その内に潜む緊張をありのままに描き出した、ルネサンスの肖像画の傑作の一つとされる。ナポリのカポディモンテ美術館が所蔵する。
来歴
ヴェネツィアで活動していたティツィアーノは、1545年秋にファルネーゼ家に招かれてローマに滞在し、翌1546年6月まで一族の肖像画を描いた。本作もこのとき注文されたが、完成されないまま残された。作品はローマのファルネーゼ宮殿に置かれ、17世紀後半までにファルネーゼ家が治めたパルマに移された。1731年に同家の男系が絶えると、コレクションはパルマ公国を継いだカルロ・ディ・ボルボーネ(のちのスペイン王カルロス3世)のもとでナポリに運ばれ、18世紀に建てられたカポディモンテの王宮に収められた。ナポレオン時代にはシチリアに避難し、1815年にナポリへ戻っている。
画面の読み解き
パウルス3世は描かれた当時77歳前後で、背を丸めて椅子に沈み込みながらも、骨ばった手で肘掛けを握り、鋭い目を右の孫に向けている。オッターヴィオは深く腰をかがめ、うやうやしく教皇に何かを語りかけているが、その姿勢には追従とも取れる不自然さがある。枢機卿の赤い衣をまとったアレッサンドロは、後ろから静かに見る者の方を見やる。祖父の引き立てで14歳で枢機卿になった兄と、皇帝カール5世の娘と結婚して家督を継ぐ立場の弟という、二人の孫の対照的な立場が、それぞれの姿勢に重ねられている。左手の卓上の時計は、老いと時の経過を思わせるメメント・モリとも読まれる。
技法・様式
カンヴァスに油彩で描かれている。深紅の幕と卓布、教皇の赤いケープ、白い衣が画面を満たし、赤の諧調だけで三人の人物と室内をまとめ上げている。未完成のため、衣や手の多くの部分は素早い筆づかいの下描きの段階にとどまるが、そのことがかえって人物の動きと緊張を生々しく伝えている。構図は、ラファエロが教皇レオ10世と二人の枢機卿を描いた集団肖像画にならったものと考えられている。
意義
一族の権勢を示すための注文でありながら、老いた教皇と二人の孫の間の張りつめた関係まで映し出したこの作品は、心理描写に優れたティツィアーノの肖像画の到達点とされる。完成しなかった理由ははっきりしないが、一族の複雑な事情が影響したとも考えられている。翌1547年には孫たちの父ピエル・ルイージが暗殺され、パウルス3世も1549年に没した。未完ゆえに生まれた自由な筆づかいは、晩年のティツィアーノの画風を先取りするものとしても注目される。