《ドンの生神女》
濃い赤紫の衣をまとった聖母が、右腕に抱いた幼子イエスへ頭を深く傾ける。金の線を引いた衣の幼子は、母の頬に自分の頬を寄せ、右手で祝福する。裏面には生神女就寝が描かれる。
概要
《ドンの生神女》(露: Богоматерь Донская)は、ビザンティン出身の画家フェオファン・グレクに帰される、1380〜1390年代のイコンである。縦86センチ、横68センチの板に描かれた両面のイコンで、裏面には《生神女就寝》がある。モスクワのトレチャコフ美術館の所蔵品で、2026年からはロシア正教会のドンスコイ修道院に置かれている。
画面の読み解き
聖母が胸から上の姿で描かれ、右腕に抱いた幼子イエスへ頭を深く傾ける。聖母は金の縁取りのある濃い赤紫の外衣を頭からかぶり、その下に青い頭巾がのぞく。額と肩には星の印がある。幼子は金の細い線を一面に引いた衣を着て、母の頬に自分の頬を寄せる。素足の脚は聖母の左手に支えられる。背景と縁は明るく、ところどころに剝落が見える。所蔵館によれば、母と子の姿勢と身ぶりにあらわれた優しさは、ビザンティンと古いルーシの美術に広く見られる「ウミレーニエ(慈しみ)」、ギリシア語で「グリコフィルサ」の型に属する。ただし、この型の多くの絵と違って、幼子は母を抱きしめず、頬を寄せるだけである。右手で祝福し、左手に巻物を持つ姿は、「オディギトリア」の型の聖母子にならう。画家は、二つの型を組み合わせたこのめずらしい図像を選び、さらに構成に工夫を重ねて、キリストと聖母が目の前で語り合っているような印象を生んだという。
技法・様式
板にテンペラで描かれる。所蔵館によれば、顔の描き方には、古典的に整った目鼻立ちと量感のある肉づけとともに、型にのっとった手法も見られる。目のまわりに扇のように広がる明るい筆の跡や、顎と鼻筋に引いた白い線がそれである。光の力が絵の地の中に織り込まれ、それを壊すことなく変容させて、完全な霊的な美の像を生んでいるという。裏面の《生神女就寝》は、短く、めずらしい図像で描かれる。光に包まれた柱のように大きなキリストが聖母の魂を腕に抱いて画面を支配し、使徒たちは小さく、左右の端に寄せられている。館は、表では聖母が生まれたキリストを世に迎え入れ、裏ではキリストが天の栄光のうちに再び現れて聖母を天の国へ迎え入れる、と両面のつながりを説く。
来歴
所蔵館によれば、教会の言い伝えは本作を1380年のクリコヴォの戦いと結びつける。戦いの前、イコンはコロムナの生神女就寝大聖堂にあり、ドミトリー・ドンスコイ公がその前で祈ったとされるが、このことが年代記に現れるのは16世紀からである。1591年には、ボリス・ゴドゥノフがクリミア・タタールへの出陣にイコンを携えて勝利し、翌年それを記念してモスクワにドンの生神女の修道院が創建された。1552年から1563年のあいだに、コロムナからモスクワ・クレムリンの生神女福音大聖堂のイコノスタシスへ移された。1930年に国立歴史博物館から館に入り、所蔵番号は14244である。2026年4月3日、館はドンスコイ修道院に49年間の無償使用でイコンを引き渡した。館の収蔵品であることは変わらない。イコンはまず救世主ハリストス大聖堂で公開され、8月4日に修道院の小聖堂へ移された。大聖堂の修復が終われば、そのイコノスタシスに納められる。
意義
所蔵館によれば、作者と制作の時期を伝える史料は無いが、多くの研究者がこのイコンを、14世紀末から15世紀初めにルーシで活動したビザンティンの画家フェオファン・グレクの名と結びつけている。ドンスコイ修道院によれば、敵がモスクワに迫るたびに、人々はこのイコンの前で助けを祈った。ドンスコイ修道院の名も、このイコンに由来する。