- 生没年
- 1340–1410年
- 国籍
- 東ローマ帝国
- 様式
- ビザンティン美術
フェオファン・グレク
14世紀後半から15世紀初めにルーシで活動した、ビザンティン出身の画家。コンスタンティノープルなどで多くの聖堂を描いたと伝わり、1378年にノヴゴロドの聖堂の壁画を手がけた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
生没年は伝わらず、1340年頃から1410年頃と推定される。正教会の美術を研究する聖ティーホン正教人文大学のデータベースによれば、聖セルギイ・ラドネシスキーの弟子エピファニイ(賢者)は、1415年の手紙で彼を「すぐれた賢者、きわめて巧みな哲学者、ギリシア人フェオファン」と呼び、コンスタンティノープルをはじめ各地の町で40を超える石造の聖堂を自らの手で描いたと記した。同じ手紙は、彼が描くとき手本を一度も見ず、遠く深いものを心で思い描いたと伝える。ノヴゴロド国立博物館保護区によれば、ノヴゴロドのイリイナ通りの救世主顕栄聖堂の壁画は、年代記の記録により1378年にフェオファンが描いたもので、注文主は貴族ヴァシリー・ダニロヴィチと通りの住民だった。
様式
トレチャコフ美術館は、彼を14世紀末から15世紀初めにルーシで活動した卓越したビザンティンの画家とする。救世主顕栄聖堂の壁画は一部しか残らないが、同データベースは、残った部分に偉大な画家の手がうかがえるとする。モスクワ・クレムリン博物館は、クレムリンの生神女福音大聖堂のイコノスタシスにあるデイシスの列の大きなイコン(救世主や聖母など)を、疑問符をつけて彼の作とし、14世紀の最後の四半世紀に置く。
代表作
《ドンの生神女》(1380〜1390年代、トレチャコフ美術館の所蔵品)は、史料は無いものの多くの研究者が彼の名と結びつける両面のイコンである。ノヴゴロドの救世主顕栄聖堂の壁画(1378年)は、年代記が彼の名を記す仕事で、一部が残る。
影響
トレチャコフ美術館は、ペレスラヴリ=ザレスキーの救世主顕栄大聖堂のイコン《主の顕栄》(15世紀初め、1403年頃か)を「フェオファン・グレクの周辺の画家」の作とする。ノヴゴロド国立博物館保護区によれば、1910年代から1930年代に壁画の洗い出しが進み、第二次世界大戦で大きな損傷を受けたのち、戦後の修復と1968〜1971年の新しい発見によって、聖堂は古いルーシだけでなく中世の美術全体の歴史の中で特別な意味をもつと認められるようになった。