《幼児虐殺》
宮殿の柱の前で、兵士が母親の髪をつかみ、足で赤子を押さえつけて剣を振り上げる。ひざまずいた母は腕を伸ばして叫び、右では青い衣の女が頭を抱えて天を仰ぐ。
概要
《幼児虐殺》(仏: Le Massacre des Innocents)は、フランスの画家ニコラ・プッサンが1628年頃にローマで描いた油彩画である。縦147センチ、横171センチのキャンバスに、ヘロデ王の命で幼子を殺す兵士と叫ぶ母を描いた歴史画で、シャンティイのコンデ美術館が所蔵する。
画面の読み解き
館の解説によれば、主題は新約聖書に拠る。ユダヤ人の王がベツレヘムに生まれたと知ったヘロデ王は、2歳に満たない男の子をことごとく殺させた。プッサンは、ボローニャの絵画館にあるグイド・レーニの名高い同じ主題の絵に対抗しつつ、人物の数を絞り、殺す兵士、叫ぶ母、死にゆく幼子の3人に構図を集中させた。そこから並外れた劇的な力が生まれている。人物は舞台の前面に立つように手前に置かれ、奥にはわずかな人物だけを配して、聖書の場面であることをわからせる。日本語版ウィキペディアによれば、背景にはコリント式の柱頭やオベリスクの見えるヘロデ王の宮殿が、画面と平行に描かれている。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。館によれば、本作は金箔や漆喰の装飾に囲まれたバロックの室内に掛けるために構想された。にぎやかな装飾の中でも絵が読み取れるよう、プッサンは叫ぶ母の顔に集まる2本の対角線で構図を組み、館はそれを「絵はただ一つの叫びである」と評する。赤・青・黄の三原色を渦巻く動きの中に用い、カラヴァッジョに学んだ激しく明暗の強い光で場面を照らす。人物は記念碑的で彫刻のようで、画家はドメニキーノの工房で裸体を写生していた。
来歴
館によれば、プッサンは1628年頃、ローマのヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ侯の邸宅のために本作を描いた。腕はあってもローマではまだ無名だった画家にとって、名高い収集家の注文は名を上げる好機だった。1638年にアンドレア・ジュスティニアーニの収集にあり、のちにリュシアン・ボナパルト、エトルリア王妃、ルッカ公らの手を経た。ロンドンでの売り立てを重ねたのち、1854年に画商コルナギからオマール公の手に渡り、1886年の公の寄贈で館のものとなった。所蔵番号はPE 305。
意義
館によれば、本作は18世紀のローマで大いに称賛された。また画家パブロ・ピカソに着想を与え、1920年から1922年の地中海の時期には、右に立つ灰色の肌の青い衣の女に近い人物が描かれた。1948年、アウシュヴィッツ強制収容所を訪ねて戻ったピカソは、「昔の画家たちは《幼児虐殺》を描けると思っていたのだ」と語って本作に触れている。日本語版ウィキペディアによれば、パリのプティ・パレ美術館にある1626〜1627年の同じ主題の作に続く2作目とみられ、人物の動きにはバロック的な造形がありながら、構図には秩序への志向が現れ、のちのより古典主義的な作風への移行がうかがえる。