《悪女フリート》
- 作者
- ピーテル・ブリューゲル(父)
- 制作年
- 1563年
- 素材
- オーク板 / 油絵具
- 寸法
- 117.4 × 162 cm
- 所蔵
- マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館 (美術館の改修中(2025年6月〜2028年9月予定)はアントウェルペン市内のマーグデンハイスで展示)
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- 北方ルネサンス
ピーテル・ブリューゲル(父)が1563年に描いた板絵。甲冑を着け、略奪品を抱えた大女フリートが、怪物のうごめく燃える世界を横切って地獄の口へ突き進む。フランドルの民間伝承とことわざをもとに、人間の強欲と愚かさを描いた寓意画である。
概要
《悪女フリート》(蘭: Dulle Griet、英: Mad Meg)は、ピーテル・ブリューゲル(父)が1563年に描いた油彩の板絵である。甲冑を身につけ、略奪品を抱えた大柄な女フリートが、燃え上がる世界を横切って地獄の入口へと突き進む。ヒエロニムス・ボスの幻想的な画面を受け継いだ北方ルネサンスの作品で、アントウェルペンのマイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館が所蔵する。
来歴
本作の年記は長く判読できず、1561年または1562年の作とされてきた。2017〜2018年にブリュッセルの王立文化財研究所(KIK-IRPA)で行われた修復で、年記が1563年と読めることがわかった。ブリューゲルがアントウェルペンからブリュッセルへ移り、結婚した年にあたる。
1604年に画家列伝を著したカレル・ファン・マンデルも、地獄の前で略奪する「悪女フリート」の絵に触れている。作品はその後、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世のプラハのコレクションに入り、1648年にスウェーデン軍の戦利品として持ち去られ、1800年にはストックホルムで記録にあらわれる。1897年、アントウェルペンの収集家フリッツ・マイヤー・ファン・デン・ベルグがケルンの競売でわずかな額で落札し、数日後にブリューゲルの作と気づいたとされる。フリッツの急逝後、母ヘンリエッテが建てた美術館に収められ、現在に至る。
画面の読み解き
画面の中央やや左を、胸当てと鉄の帽子、鎖の籠手を着けた大女フリートが大股で左へ進む。右手に剣を握り、腰に包丁を下げ、腕と背には鍋や皿、籠や袋に詰めた略奪品を抱える。周りの人物よりはるかに大きく描かれ、画面を右から左へ横切るその歩みが構図の軸になっている。行く手の左端には、大きく口を開けた巨大な顔がある。中世以来の図像で地獄の入口をあらわす「地獄の口」で、口の奥には小さな人影や怪物がうごめいている。
右側では、頭巾をかぶった女たちが家に押し入り、怪物と取っ組み合いながら略奪に熱中している。その上方には、舟を背負って屋根にうずくまる大きな人物がいる。空は赤く燃え、遠くの町は炎に包まれ、地上には魚や鳥、卵の殻と人の体を組み合わせたような怪物が散らばる。こうした怪物は、地獄で罰せられる罪をあらわすと読まれてきた。
フリート(Griet)はマルハレータの愛称で、「dulle」には「狂った」「愚かな」という意味があり、16世紀には口やかましく乱暴な女を指す呼び名として使われていたとされる。主題は「地獄の前で略奪しても無傷で帰ってくる」ということわざと結びつけて説明されることが多い。1568年にアントウェルペンで出たことわざ集にも、女が5人なら軍勢、6人なら悪魔も手が出せないという趣旨の句がある。騒々しい女たちを笑う風刺であると同時に、抱えきれないほどの品を持ちながら、なおも地獄にまで奪いに向かう強欲と愚かさへの戒めとして読むのが一般的である。
技法・様式
オーク材の板に油彩で描かれている。ブリューゲルはボスにならい、人間と動物、道具を奇妙に組み合わせた怪物を画面いっぱいに散りばめ、一つの風景の中に多くの出来事を同時に描き込んだ。一方で、高い視点から広い眺めを見下ろす構図や、赤と褐色を基調にした色彩の組み立ては、ブリューゲル自身のものである。顔料の分析では、フリートの衣に、高価なウルトラマリンではなく安価な青の顔料スマルトが使われていることが確かめられている。
ほぼ同じ寸法の《叛逆天使の墜落》(1562年、ベルギー王立美術館)、《死の勝利》(1562年頃、プラド美術館)と構図や様式がよく似ており、ボス風の主題をまとめて描いた連作だったとする説がある。この修復では、変色したワニスなどが取り除かれ、本来の鮮やかな色彩と細部がよみがえった。
意義
人文学者ドミニクス・ランプソニウスは1572年、ブリューゲルを「新しいヒエロニムス・ボス」と呼んだ。本作はその呼び名をよく裏づける作品だが、ボスの幻想をそのまま写すのではなく、ことわざや民間伝承という身近な言葉の世界と結びつけた点に独自性がある。この後ブリューゲルは幻想的な主題を離れ、《雪中の狩人》(1565年)などの季節の風景や、農民の暮らしを描く作品へと向かう。フリートの姿はその後も絵画や演劇、漫画に繰り返し取り上げられている。