《ヴィーナスに訴えるキューピッド》
- 作者
- ルーカス・クラナッハ(父)
- 制作年
- 1526–1527年
- 素材
- 板からウッドファイバーボードに移し替え / 油絵具
- 寸法
- 81.3 × 54.6 cm
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- ドイツのルネサンス期
暗い森を背に、赤い羽根帽子と金の首飾りだけを身につけたヴィーナスが、林檎の枝をつかんで立つ。かたわらでは蜂の巣を抱えたキューピッドが蜂にたかられて訴える。上の空にはラテン語の銘、遠くに湖と城が見える。
概要
《ヴィーナスに訴えるキューピッド》は、ドイツの画家ルーカス・クラナッハ(父)が1526年から1527年に描いた油彩の神話画で、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する。館の記録では縦81.3センチ、横54.6センチで、もとは板に描かれ、のちに木の繊維の板に移し替えられた(油彩転写)。画面には署名と銘がある。所蔵番号はNG6344で、館の第64室に展示されている。
画面の読み解き
館の解説によれば、愛欲の神キューピッドが、蜂の巣から蜂蜜を盗んで蜂に刺され、母である愛の女神ヴィーナスに泣きついている。ヴィーナスは息子の災難にほとんど同情しない。こんな小さなものがどうしてこれほど痛いのかと尋ねる息子に、女神は、お前が愛の矢を射て与える苦しみは蜂の一刺しよりずっとひどく、長く続くと諭す。主題は古代ギリシアの詩人テオクリトスの『牧歌』第19歌「蜂蜜泥棒」にもとづき、1522年と1528年のドイツの学者によるラテン語訳が知られる。この教訓的な詩はクラナッハが交わった人文主義者の間で好まれ、画面上部の空にはその詩句がラテン語で記されている。銘は「幼いキューピッドが巣から蜜を盗んでいると、蜂が盗人の指を刺した。われらも同じ。求める短くはかない快楽は悲しみと混じり、痛みをもたらす」という意味である。ヴィーナスは金の首飾りと鎖、ダチョウの羽根を飾った赤いビロードのつば広帽子のほかは裸で、帽子の下には金のヘアネットがのぞく。これらはクラナッハが仕えたザクセンの宮廷の流行を映している。女神は背後の林檎の木の枝をつかみ、旧約聖書の誘惑する女エバを思わせる。その誘うようなまなざしは見る者に向けられている。
技法・様式
館によれば、ヴィーナスの体はわずかに斜めに向き、木の枝をまたぐように左膝を曲げている。伸びやかな姿勢は上半身を見る者に開き、長い手足と体の曲線を強調する。白い肌は森の暗い背景に照らし出され、なめらかな肌と木の幹の粗い樹皮とが対比される。女性の男性への力を語る「女の力」の主題は、16世紀のドイツで好まれた。クラナッハの官能的な女神の描写は、恋の痛みへの戒めであると同時に、それ自体が誘惑でもある。茂った森の奥には牡鹿と雌鹿が隠れ、狩りを好んだ画家の王侯の注文主の心をとらえたであろう。湖の向こうには城をいただく岩山がそびえ、水面には家々や白鳥が細やかに映る。鮮やかな青から暖かな桃色と黄色へと移る空は、日が沈んだばかりであることを示す。ヴィーナスの上げた足のそばの岩には、1508年にザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公から紋章を授けられたのちに画家が用いた、冠をいただき指輪をくわえた有翼の蛇のしるしが記されている。
来歴
館によれば、本作は1909年にベルリンで行われたフランクフルトの収集家エミール・ゴルトシュミットのコレクションの売り立てに出された。その後ケムニッツのハンス・ヘルマン・フォーゲルの手に渡った可能性があり、やがてアドルフ・ヒトラーが入手して、ミュンヘンの私邸に置かれた。1945年、南ドイツのアメリカ軍の管理する倉庫から、アメリカの従軍記者パトリシア・ロクリッジ・ハートウェルが許可を得て選び出した。1963年にニューヨークの画商を通じて売られ、館が購入した。館は、1933年から1945年の来歴に空白のある作品の一つとしている。
意義
館によれば、クラナッハはこの主題の作品を数多く描き、館には1529年の別の作例も所蔵されている。教訓と率直な官能性を結びつけたこの主題の絵は、とりわけ注文主たちに好まれた。2014年の館の展覧会「奇妙な美――ドイツ・ルネサンスの巨匠たち」にも出品された。同じ画家の作品には、ベルリン絵画館の《若返りの泉》がある。