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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの肖像

ポール・セスコー撮影の全身写真、1894年

Wikimedia Commons / Public domain
生没年
1864–1901年
国籍
フランス
様式
ポスト印象派
本DB収録 1 点

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

Henri de Toulouse-Lautrec

1864年に南仏アルビで生まれ、1901年に没したフランスの画家、版画家。パリのモンマルトルに住み、キャバレーや劇場に集う踊り子や歌手、客たちを、鋭い線と大胆な構図で描いた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

1864年11月24日、南フランスのアルビで、地方の旧家トゥールーズ=ロートレック伯爵家に生まれた。生まれつき骨が弱く、13歳と14歳のときに左右の大腿骨を相次いで折ってからは、脚がほとんど伸びなかった。父の友人の画家ルネ・プランストーに手ほどきを受け、1882年にパリへ出て、レオン・ボナ、ついでフェルナン・コルモンの画塾で学ぶ。画塾のあったモンマルトルに住みつき、1889年に開いたキャバレー「ムーラン・ルージュ」の常連となった。1891年、同店のポスター《ムーラン・ルージュのラ・グーリュ》で一躍名を知られる。1889年から1894年までアンデパンダン展に出品した。晩年は飲酒で体を壊し、1899年には療養所に入れられる。1901年9月9日、ジロンド県にある母の館マルロメで、36歳で没した。

様式の変遷

画塾ではアカデミックな素描を学んだが、やがてエドガー・ドガの、人物を画面の端で断ち切る構図と、浮世絵の平らな色面やくっきりした輪郭に引かれていく。1880年代末からは、ダンスホール、キャバレー、劇場、娼館といった夜の場所と、そこで働き、遊ぶ人々に主題を絞った。人物の癖や表情を少ない線でとらえる素描の力が、油彩にも版画にも通っている。1891年から1900年までに31点のポスターを手がけ、リトグラフによる版画は361点にのぼる。形を大胆に単純化し、文字と絵を一つの画面に組み合わせたポスターは、近代のポスターの出発点の一つとされる。

代表作

ポスターでは《ムーラン・ルージュのラ・グーリュ》(1891年)、《ディヴァン・ジャポネ》(1893年)が知られる。油彩では、仲間たちとともに自分の姿も描き込んだ《ムーラン・ルージュにて》(1892〜1895年、シカゴ美術館)、《ムーラン通りのサロンにて》(1894年、トゥールーズ=ロートレック美術館)が代表作である。

影響

没後、母アデルの意向で手もとの作品がアルビ市に寄贈され、1922年、生地にトゥールーズ=ロートレック美術館が開かれた。ポスターと版画のすべてを含む、この画家の作品のもっとも大きな公的コレクションである。ポスト印象派の時代に、芸人や客の姿を通してパリの夜の娯楽を記録した画家として、ポスターや挿絵の世界にも長く影響を残した。

代表作MAJOR WORKS

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