
ヘラルト・ドウ《自画像》(1665年頃、メトロポリタン美術館)
Wikimedia Commons / メトロポリタン美術館 / CC0- 生没年
- 1613–1675年
- 国籍
- ネーデルラント連邦共和国
- 様式
- オランダ黄金時代の絵画
ヘラルト・ドウ
オランダ黄金時代の風俗画家。レイデンに生まれ、1628年からレンブラントに学んだ。筆の跡の見えない精緻な描写で日常の情景を描き、レイデンの「フェインスヒルデル(精密画家)」の祖となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、1613年にレイデンでガラス彫刻師の子として生まれた。1628年にレンブラントの弟子となり、おそらく1631年から1632年に師がアムステルダムへ移るまでその工房にいた。マウリッツハイス美術館は、ドウをレンブラントの最初の弟子とする。1648年にはレイデンの画家組合の創立に加わり、最初の会員の一人となった。イギリスに招かれたが行かず、1675年に亡くなるまでレイデンで制作を続けた。
様式
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、初期の作品や肖像には若いレンブラントの影響が見られる。名声を支えたのは、細かく描き込んだ日常の情景で、石のアーチ形の窓の枠の中に人物を置いた「ニッチの絵」とも呼ばれる作品が多い。マウリッツハイス美術館によれば、師をまねるのではなく、目に見えない筆づかいで物の表面の質感を描き分けることに力を注いだ。伝記作者ホウブラーケンは、描き始める前にほこりが静まるのを待ったという逸話を伝えている。
代表作
風俗画の《若き母》(1658年、マウリッツハイス美術館)、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《鶏肉屋の店》がある。
影響
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ドウは19世紀の初めまでオランダの画家の中で最も名高い一人で、レイデンの「フェインスヒルデル(精密画家)」と呼ばれる一群の祖となった。そこにはホットフリート・スハルケンやフランス・ファン・ミーリスらが加わった。マウリッツハイス美術館は、ハブリエル・メツーもその流れに数えている。1660年には《若き母》がオランダからイギリス王チャールズ2世への贈り物に選ばれ、王はドウを宮廷に招こうとした。