
ナポレオン・サロニー撮影の肖像写真(1868年頃、スミソニアン国立肖像画美術館)
Wikimedia Commons / スミソニアン国立肖像画美術館 / Public domain- 生没年
- 1826–1900年
- 国籍
- アメリカ合衆国
フレデリック・エドウィン・チャーチ
1826年にハートフォードで生まれ、1900年にニューヨークで没したアメリカの風景画家。トマス・コールに学び、南アメリカの熱帯や北大西洋の氷山を大画面に描き、ハドソン・リバー派を代表する画家となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
メトロポリタン美術館のケヴィン・J・エイヴリーの論考(2009年)によれば、1826年にコネティカット州ハートフォードで、宝石商で銀行家のジョゼフ・チャーチの子に生まれた。父は収集家ダニエル・ワズワースを通じて、風景画家トマス・コールに息子を弟子入りさせる。1844年から1846年、ニューヨーク州キャッツキルのコールのアトリエで学び、師から「世界で最もすぐれた素描の目」をもつと評された。のちニューヨーク市にアトリエを構え、1857年、横幅およそ2.1メートルの《ナイアガラ》で国内外に名を知られる。1860年にイザベル・カーンズと結婚し、ハドソン川を見下ろすニューヨーク州ハドソンの丘に住んだ。1900年にニューヨーク市で没した。
様式の変遷
同論考によれば、1840年代末から博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトに傾倒し、その足跡をたどって1853年にコロンビア、1857年にエクアドルを旅した。その写生をもとにした大きく緻密な絵で名声を確かなものとし、アルバート・ビアスタットとともに同世代で最も成功した画家となる。1859年には北大西洋へ氷山を写生に出かけ、1861年に《氷山》を発表した。師のような露骨な寓意は好まなかったが、南米の風景の巡礼の十字架や、夕焼け、オーロラ、虹に、愛国心と信仰を表した。1867年からは聖地を中心に旧大陸を巡り、アテネでパルテノン神殿を写生している。
代表作
《ナイアガラ》(1857年)、《アンデスの奥地》(1859年、メトロポリタン美術館)、《氷山》(1861年、ダラス美術館)、《パルテノン》(1871年、メトロポリタン美術館)がある。
影響
同論考によれば、1870年から1872年にハドソンの丘にペルシア風の「城」を建て、夫妻はこれを「オラナ」と名づけた。ニューヨーク市の公園委員を務め、メトロポリタン美術館の創設理事の一人にもなった。やがてハドソン・リバー派の画家たちとともに忘れられていくが、没年に同館が初の回顧展を開き、1960年以後に評価が回復した。オラナは、ニューヨーク州の公園制度のなかでも屈指の史跡として保存されている。