《アンデスの奥地》
- 作者
- フレデリック・エドウィン・チャーチ
- 制作年
- 1859年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 168 × 302.9 cm
- 所蔵
- メトロポリタン美術館
- 時代
- 写実・印象派
- 流派
- ハドソン・リバー派
雪をかぶった高峰を遠くに望む谷で、川が滝となって淵に落ち、両岸には熱帯の木々が茂る。手前の小道の先には白い十字架が立ち、その前に小さな人影が見える。
概要
《アンデスの奥地》(英: Heart of the Andes)は、アメリカの画家フレデリック・エドウィン・チャーチが1859年に描いた油彩画である。縦168センチ、横302.9センチの大きなキャンバスで、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する。所蔵館によれば、ドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトの著作に触発されたチャーチは、1853年と1857年に南アメリカを旅した。本作は、エクアドルで描いた何十枚もの鉛筆と油彩の写生をまとめ上げたもので、半世紀前にフンボルトがそこで観察した、熱帯から温帯、寒帯までの気候の幅のすべてを表している。
画面の読み解き
左奥には雪をかぶった高峰がそびえ、その手前に茶色い山並みが連なる。ふもとの平原には川が流れ、小さな集落と白い教会が見える。右寄りの手前では、川が滝となって淵に落ち、両岸には熱帯の木々やシダ、花が茂る。左下の小道の先には白い十字架が立ち、その前に小さな人影がある。その左には折れて朽ちかけた木の幹が立ち、画家の署名が彫りつけたように描かれている。そばの枝には尾の長い鳥がとまり、葉や花の一つひとつまで細かく描き込まれている。
技法・様式
同館のケヴィン・J・エイヴリーの論考(2009年)によれば、1840年代の末からフンボルトに傾倒したチャーチは、その主著『コスモス』(1845年)が画家たちに赤道直下の南アメリカを描くよう呼びかけたのに応え、その足跡をたどった。1853年は実業家サイラス・フィールドとおもにコロンビアを、1857年は風景画家ルイ・レミ・ミニョーとエクアドルだけを旅している。エイヴリーによれば、チャーチは早くから、各地の写生を組み合わせて鮮やかな構図にまとめる風景画で評判を得ていた。本作も、エクアドルでの戸外制作による写生を一つの画面に組み上げたもので、こうした大きく緻密な絵によって画家は名声を確かなものにした。エイヴリーは、チャーチが師トマス・コールの露骨な寓意を好まなかった一方、南アメリカの風景に巡礼の十字架を描き入れるなどして、愛国心と信仰を表したとする。
来歴
所蔵館によれば、チャーチは本作を、窓のような大きな額(現存しない)に入れて見せ、見物人にはオペラグラスで植物の細部を見るよう勧めた。暗くした部屋で、銀の反射板の陰に隠したガス灯が絵を照らした。本作は大評判を呼び、毎月1万2000人から1万3000人が1人25セントを払って列をなした。エイヴリーは、南北戦争の時代に一点の絵の展示として最も人気を集め、ニューヨークでの初公開だけで3週間に1万2000人が訪れ、その後イギリスとアメリカの7都市を2年かけて巡回したと記す。本作は1909年、マーガレット・E・ダウズの遺贈で館に入り、現在は画家が別の絵のために作った額に収められて、第760室に展示されている。
意義
エイヴリーによれば、南アメリカの旅から生まれた大作によって、チャーチはアルバート・ビアスタットとともに同世代で最も名高く成功した風景画家となった。ニューヨークでの本作の展示は、画家が1860年にイザベル・カーンズと出会い、結婚するきっかけになったともいわれる。のちにハドソン・リバー派の画家たちとともに忘れられていくが、メトロポリタン美術館は画家の没年の1900年に初の回顧展を開いている。エイヴリーは、チャーチをおそらくハドソン・リバー派の最もよく知られた画家とみている。