
ウィリアム・カーツによるロイツェの写真、スミソニアン協会アメリカ美術アーカイヴ
Wikimedia Commons / スミソニアン協会アメリカ美術アーカイヴ / Public domain- 生没年
- 1816–1868年
- 国籍
- アメリカ合衆国(ドイツ生まれ)
- 様式
- デュッセルドルフ派
エマヌエル・ロイツェ
1816年に南ドイツで生まれ、1868年にワシントンで没した画家。アメリカで育ち、デュッセルドルフを拠点にアメリカ史の大画面を描いて、建国の場面の図像を決定づけた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1816年5月24日、南ドイツのシュヴェービッシュ・グミュントに生まれた。政治的な事情で一家は1825年頃にアメリカへ移り、フィラデルフィアで育つ。地元で肖像画を描いて資金をつくり、1841年にドイツへ戻ってデュッセルドルフ美術アカデミーの周辺で学んだ。ミュンヘン、ヴェネツィア、ローマを巡ったのち、1845年にデュッセルドルフへ腰を据え、自らの工房を開く。1848年の革命に共感し、アメリカ独立の物語をヨーロッパの改革者への励ましとして描こうと考えた。1859年にアメリカへ戻り、1860年代には連邦議会議事堂の壁画《帝国の進路は西へ》(1862年)を手がけた。1868年7月18日、ワシントンで没した。
様式の変遷
デュッセルドルフ派仕込みの入念な下絵と均質な仕上げを生涯守り、歴史画に集中した。人物の身ぶりと表情で筋を明快に語り、劇的な光で主役を際立たせる。大画面を得意とし、群像を舞台の一場面のように構成した。晩年の議事堂壁画では、西部へ向かう開拓者の行列を大きな半円形の画面に収めている。
代表作
《デラウェア川を渡るワシントン》(1851年、メトロポリタン美術館)が最もよく知られる。ほかに、その対をなす《モンマスで兵を励ますワシントン》(1854年、カリフォルニア大学バークレー校)、連邦議会議事堂の壁画《帝国の進路は西へ》(1862年、ワシントン)がある。
影響
デュッセルドルフの工房は、アメリカから渡った画家たちの拠点となり、アルベルト・ビアスタットやウォージントン・ウィットリッジらが出入りした。彼らが持ち帰った緻密な描写と大画面の構成は、ハドソン・リバー派の風景画に生かされる。《デラウェア川を渡るワシントン》は版画や教科書、切手や硬貨を通じてアメリカの国民的な図像となり、1953年にはラリー・リヴァーズが同じ主題で描き直すなど、後の画家の引用も絶えない。