
ヴィジェ=ルブラン《麦わら帽子の自画像》(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1755–1842年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 新古典主義
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
1755年にパリで生まれ、1842年に没したフランスの画家。王妃マリー・アントワネットに重用された肖像画家で、革命を逃れてローマ、ウィーン、サンクトペテルブルクなどで制作し、晩年に回想録を著した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
メトロポリタン美術館の解説(キャサリン・ベイトジャー、2016年)によれば、1755年にパリで、パステル画家で画家組合(アカデミー・ド・サン=リュック)の会員だった父ルイ・ヴィジェと、髪結いの母のあいだに生まれた。父のアトリエで手ほどきを受け、リュクサンブール宮やパレ・ロワイヤルの収集を学んだ。組合に入らずに注文を受けたとして1774年にアトリエを閉じさせられたのち組合に加わり、1776年に画商ジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚する。1778年にヴェルサイユに呼ばれて王妃マリー・アントワネットを描き、1783年には国王夫妻の直接の働きかけで王立絵画彫刻アカデミーの会員となった。ヴェルサイユへの行進ののち革命を逃れ、1790年にローマ、ついでウィーン、1795年にサンクトペテルブルクに移った。1802年にパリへ戻り、1824年までサロンに出品した。晩年に回想録『思い出』を著し、1842年に没した。
様式の変遷
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、とりわけ王妃に引き立てられた流行の肖像画家だった。同館の《麦わら帽子の自画像》は、1782年に描いて評判となった自画像を画家自身が写したもので、ポーズはルーベンスの肖像にならっている。メトロポリタン美術館によれば、1783年、1785年、1787年、1789年のサロンに50点を超える作品を出し、批評でも一般の人気でも大きな成功を収めた。
代表作
1778年の王妃の公式肖像と、3人の子とともに王妃を描いた《マリー・アントワネットとその子供たち》(1787年、ヴェルサイユ宮殿)、《麦わら帽子の自画像》(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)がある。
影響
美術史家ジェレミー・ブノワによれば、王妃の肖像は革命の伝説とは違う、威厳と人間らしさをもつ王妃の像を後世に伝えた。一方で、王妃を描いたことが画家自身の亡命の理由ともなったが、画家は亡命先のヨーロッパ各地で肖像画家としての輝かしい経歴を続けた。