《マリー・アントワネットとその子供たち》
円柱と垂れ幕のある宮殿の一室で、赤いビロードの衣に羽根飾りの帽子の王妃が腰かけ、膝に幼い王子を抱く。右では王太子が空の揺りかごを指さし、左では王女が王妃の腕にそっと寄り添う。
概要
《マリー・アントワネットとその子供たち》(仏: Marie-Antoinette de Lorraine-Habsbourg, reine de France, et ses enfants)は、フランスの画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが1787年に描いた油彩画である。縦271センチ、横195センチのキャンバスで、ヴェルサイユ宮殿が所蔵する。フランス王妃マリー・アントワネットを、3人の子に囲まれた母として描いた公式の肖像画である。
画面の読み解き
ヴェルサイユ宮殿によれば、構図はルネサンスの聖家族の図にならっている。王妃は円柱と垂れ幕のある建築の中にいて、当時の流行の帽子と赤いビロードの衣をまとう。背後には、王太子妃のころから使った、ベランジェの意匠による宝石箪笥が見える。右の王太子ルイ=ジョゼフは、4番目の子ソフィー=エレーヌ=ベアトリクスの揺りかごを指さす。青い衣と聖霊騎士団の十字章は、王位継承者であることを示す。王妃が膝に抱くのは、1789年に兄の死で王太子となり、のちにルイ17世となるノルマンディー公ルイ=シャルルで、胸の青い綬は王の子のしるしである。左の王女マリー=テレーズ=シャルロットは、王妃の腕にやさしく手をかける。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、王妃は宝石をあまり身につけず、子どもたちこそ真の宝であることを示そうとした。この選択には、子ども時代への関心が高まった当時の空気も表れている。美術史家ジェレミー・ブノワは、グラン・パレの教育サイト「イストワール・パル・リマージュ」の解説で、画家が16世紀にさかのぼる王の肖像の型にならって王妃を建築の舞台に置いたとし、こうした肖像は、デュプレシやカレによるルイ16世の戴冠衣装の肖像に呼応するとみる。やわらかくふくよかな、抑えた新古典主義の画風は、アデライード・ラビーユ=ギアールの堅い写実よりも王妃の好みにかなっていたという。
来歴
所蔵館によれば、1785年7月に首飾り事件が明るみに出て王妃の評判が傷つくなか、1785年9月に王の建造物総監が注文した。制作を始めた1786年には王の子は4人いたが、同年生まれのソフィー=ベアトリクスは翌1787年に生後11か月で亡くなり、画家は揺りかごを空のまま描いた。王妃の評判があまりに悪く、画家は同年8月25日に開くサロンへの出品をためらい、空いた場所は「ほら、赤字(デフィシット)だ」という有名な皮肉を生んだ。当局の求めでようやく届けられ、批評は分かれた。1789年6月まで宮殿の「マルスの間」に掛けられたのち収蔵庫へ移され、ルイ=フィリップの時代にヴェルサイユの美術館に配された。現在は王妃の大居室の「大膳式の控えの間」に展示されている。所蔵番号はMV 4520である。
意義
ブノワによれば、ヴィジェ=ルブランは1778年から王妃の肖像画家となり、10点ほどの肖像を手がけた。これらの絵は、革命の伝説が描いたような浅はかな女性ではなく、威厳と人間らしさをあわせもつ王妃と母の姿を伝え、死後の王妃の像をつくった。一方で、生前に肖像が数多く描かれたことは、王妃の不人気をあおる一因ともなり、画家自身も王妃を描いたことで国外への亡命を余儀なくされた。