《聖アンナと聖母子》
岩の高台に座る聖アンナの膝に、青い衣の聖母が腰かけ、身を乗り出して幼子イエスを抱きとめる。幼子は子羊をつかんで振り返り、その向こうには青く霞む険しい山々が遠くまで連なる。
概要
《聖アンナと聖母子》(仏: La Vierge, l'Enfant Jésus et sainte Anne)は、レオナルド・ダ・ヴィンチが1503年頃から1519年にかけて描いた油彩画である。縦168センチ、横113センチのポプラ材の板絵で、ルーヴル美術館が所蔵する。聖母マリアの母アンナの膝に聖母が腰かけ、子羊をつかむ幼子イエスを抱きとめようとする場面を描く。所蔵館によれば、レオナルドは1503年頃にフィレンツェで描き始め、亡くなる1519年まで手もとに置いて少しずつ筆を加え続けたが、絵は未完のまま残された。盛期ルネサンスを代表する、レオナルド晩年の大作である。
画面の読み解き
岩の多い高台に聖アンナが座り、その膝の上に、青い衣の聖母マリアが横向きに腰かける。聖母は身を乗り出して両腕を伸ばし、子羊の首に手をかけてまたがろうとする幼子イエスを引き寄せる。幼子は振り返って母を見上げ、アンナはほほえみながら娘を見下ろす。背後には、青く霞む険しい山々が遠くまで連なり、右には一本の木が立つ。所蔵館によれば、子羊は犠牲にされる動物で、幼子自身の最期を象徴する。聖母の動きは、わが子を差し出すのか引きとめるのか、どちらともとれる。アンナの肩から聖母の左腕、幼子の前腕へと動きがつながり、アンナの頭から聖母の腕を通って子羊まで、大きな対角線が下りている。
技法・様式
所蔵館によれば、1501年4月、修道士ピエトロ・ダ・ノヴェッラーラがマントヴァ侯妃イザベラ・デステに宛てた手紙に、子羊をつかむ幼子と、それを引き離そうとする聖母、娘を引きとめようとするアンナを描いた下絵の記述がある。赤外線による調査では、下絵を点線で板に写し取った跡が見つかった。聖母子と祖母アンナを描く「聖アンナ三代」の図像は、もとは三人を縦に重ねる厳格な型だった。レオナルドはこれを、祖母と娘が幼子の遊びを見守る家族の情景のような自然な場面に変え、そこに受難の予告を込めている。構図の異なる大きな下絵(カルトン)が、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに残る。
来歴
所蔵館によれば、2005年にハイデルベルクの図書館で見つかった、フィレンツェ政庁の書記アゴスティーノ・ヴェスプッチによる1503年10月の書き込みから、この頃には絵がすでに描き始められていたことがわかった。1517年10月には、アンボワーズのクロ・リュセを訪れたアラゴンの枢機卿がこの絵を目にしている。その後フランス王フランソワ1世の収集に入り、旧王室コレクションとして1793年にルーヴルの所蔵となった。2010年から2012年の修復では、聖アンナの衣に画家の最後の筆跡が見つかった。聖母の顔も、光から影への最も繊細な移り変わりが仕上げられないままである。現在はドノン翼のグランド・ギャラリー(第710室)に展示されている。所蔵番号INV 776。
意義
所蔵館によれば、1343年の聖アンナの祝日にアテネ公に対して蜂起して以来、フィレンツェの人々は聖アンナを共和国の守り手として崇めてきた。所蔵館は、1494年のメディチ家の追放ののちに回復した共和政をたたえる主題として、レオナルドが自ら選んで描き始めたとみる。所蔵館の学芸員ヴァンサン・ドリュヴァンは、本作を20年近くに及ぶ思索と推敲の結晶と呼んでいる。