クレジット方針 収録範囲について お問い合わせ
作品COLLECTION 画家ARTISTS 流派MOVEMENTS 時代PERIODS 所蔵MUSEUMS 様式史HISTORY 用語集GLOSSARY 検索SEARCH

《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》

Le Sacre de Napoléon
《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》ジャック=ルイ・ダヴィッド
Wikimedia Commons / ルーヴル美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
ジャック=ルイ・ダヴィッド
制作年
1807年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
621 × 979 cm
広告

大聖堂の内陣で、深紅のマントのナポレオンが冠を高く掲げ、ひざまずく皇妃ジョゼフィーヌの頭に載せようとする。右では教皇ピウス7世が祝福の手を上げ、周りを着飾った宮廷の人々がぎっしりと取り巻く。

概要

《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》(仏: Le Sacre de Napoléon)は、ジャック=ルイ・ダヴィッドが1807年に完成させた油彩画である。縦6.21メートル、横9.79メートルのキャンバスで、ルーヴル美術館が所蔵する。所蔵館によれば、同館ではヴェロネーゼの《カナの婚礼》に次いで大きな絵で、1804年12月2日の昼過ぎ、パリのノートルダム大聖堂の内陣で、自ら冠をかぶったナポレオンが、皇妃ジョゼフィーヌの頭に冠を載せようとする瞬間を描く。「ナポレオンの聖別式(サクル)」と通称されるが、所蔵館は、描かれているのは実際には戴冠の場面だとする。新古典主義を代表する歴史画である。

画面の読み解き

祭壇の段の上に、金の月桂冠をかぶり、金の蜜蜂を散らした深紅の天鵞絨のマントをまとったナポレオンが立ち、両手で冠を掲げる。その前では、白い衣のジョゼフィーヌが紫のクッションにひざまずき、二人の女官がマントの裾を支える。右では教皇ピウス7世が椅子に座り、右手を上げて祝福する。右手前には帝国の高官たちが後ろ姿や横顔で並び、左手前には皇帝の家族が、奥の桟敷の中央には皇帝の母レティツィアが座る。所蔵館によれば、画面にはおよそ190人が描かれ、そのうち93人は身元のわかる肖像である。ダヴィッド自身も桟敷で素描する姿で、妻と双子の娘、助手のルージェとともに描き込まれている。

技法・様式

所蔵館によれば、ナポレオンは1804年9月、戴冠をめぐる儀式を記念する4点の絵をダヴィッドに注文した。ダヴィッドは儀式に立ち会ってその場で素描をとり、1年をかけて素描と油彩の下絵、立体の模型と衣装を着せた小さな人形で構図を練った。制作は1805年12月21日から1807年11月半ばまで、ソルボンヌ広場の旧コレージュ・ド・クリュニーの礼拝堂を改装したアトリエで行われ、建築と遠近法を舞台装飾家デゴッティが、衣装と小道具を画家ルージェが助けた。はじめは、ナポレオンが右手で冠を自分の頭上にかざす姿を描いたが、1806年8月にそれを塗りつぶし、まっすぐに立って皇妃に冠を授ける今の姿に改めた。1808年1月には、皇帝の求めで教皇の右腕を上げさせ、祝福の身ぶりにしている。

来歴

所蔵館によれば、代金は6万5000フランで、1808年2月にルーヴル(当時のナポレオン美術館)で初めて公開され、同じ年のサロンにも出品された。王政復古期には公開されず、1837年からヴェルサイユ宮殿の「戴冠の間」に飾られた。1889年のパリ万国博覧会への出品を経て、1890年からルーヴルで展示されている。第二次世界大戦中は地方の城に避難し、1946年に戻った。現在はドノン翼のダリュの間(第702室)に展示されている。所蔵番号INV 3699。

意義

所蔵館によれば、画面には政治的な宣伝のために、実際には出席していなかった4人が描き込まれている。ローマにいた皇帝の母レティツィア、病気だった教皇特使カプラーラ枢機卿、そしてオスマン帝国と神聖ローマ皇帝の大使である。実際には皇帝を囲んで内陣に円く並んでいた人々も、夫妻を際立たせるために左右と奥へ寄せられた。皇帝のすぐ右奥には、ユリウス・カエサルの胸像をもとにした顔の聖職者が紛れ込む。所蔵館はこれを、ナポレオンへの賛辞であると同時に、独裁へ向かう道の不吉な予兆とも読む。そして本作を、近代の大きな歴史画であり、ナポレオンの家族と宮廷の集団肖像画でもあるとしている。