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《シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタの肖像》

Portrait de Sigismond Malatesta, seigneur de Rimini (1417-1468)
《シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタの肖像》ピエロ・デラ・フランチェスカ
Wikimedia Commons / ルーヴル美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
ピエロ・デラ・フランチェスカ
制作年
1450–1475年
素材
板(ポプラ材) / 油絵具
寸法
44.9 × 34 cm
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暗い背景の前に、髪を丸く切りそろえた男が左を向いた横顔で描かれる。高い鼻と引き締まった口もと、太い首が光を受けて浮かび上がり、金の文様を織り出した錦の上着の肩には、銀灰色の紐がかかる。

概要

《シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタの肖像》は、イタリアの画家ピエロ・デラ・フランチェスカの作とされる板絵の肖像画で、パリのルーヴル美術館が所蔵する。館の題は《リミニの領主シジスモンド・マラテスタ(1417〜1468年)の肖像》。館の記録では、ポプラ材の板に油彩で、縦44.9センチ、横34センチ。所蔵番号はRF 1978-1で、館は制作を15世紀の第3四半期(1450〜1475年)とする。ドノン翼の709室(七メートルの間)に展示されている。描かれたのは、リミニとファーノを治めた傭兵隊長で、芸術の庇護者でもあったシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタである。

画面の読み解き

暗い背景の前に、マラテスタが左を向いた厳密な横顔で描かれる。茶色の髪は耳を隠す丸い形に切りそろえられ、高い鼻と固く結んだ口が、意志の強い表情をつくる。白い襟の上に伸びる首は太く、光を受けて柱のような量感を見せる。上着は赤みを帯びた金の錦で、植物の文様が細かく織り出され、肩から胸へ銀灰色の紐が渡されている。日本語版ウィキペディアによれば、古代ローマの皇帝たちも横顔で表されたことから、横顔の形は、マラテスタを権力者としてだけでなく、教養あるルネサンスの庇護者として示す。

技法・様式

館は本作を、リミニのテンピオ・マラテスティアーノの壁画、すなわち守護聖人であるブルグント王聖ジギスムントの前にひざまずく傭兵隊長を描いた1451年の作品の、おそらく最初の構想とみている。日本語版ウィキペディアによれば、横顔の形式は国際ゴシック様式を好んだ北イタリアの宮廷肖像の伝統を受け継ぐが、人物は暗い背景から立体的に浮かび上がる。ピサネロの《公女の肖像》と違い、真横から描かれた肩には短縮法が用いられ、遠近法の決まりに沿って表される。髪や布地の質感にも自然な細部への注意が払われ、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンらフランドルの画家をピエロがよく知っていたことを示すという。

来歴

館の記録によれば、本作は1889年にサンクトペテルブルクでP・デラロフが入手し、のちにミラノへ移った。美術史家ジョヴァンニ・モレッリは同年の手紙でこの絵に触れている。その後ミラノのパオロ・ダンコーナ、1930年頃にはローマとフィレンツェの画商アレッサンドロ・コンティーニ・ボナコッシ伯爵、ニューヨークの画商スタンリー・モスの手を経て、1978年に館が購入した。日本語版ウィキペディアによれば、ピエロへの帰属を最初に唱えたのはモレッリで、のちにロベルト・ロンギもこれを繰り返した。一方、イタリアには疑問を呈する研究者もおり、1969年にはイタリアの委員会が、帰属への疑いを理由に購入を見送っている。

意義

館の展覧会歴によれば、本作は2007年のアレッツォの「ピエロの気品 ピエロ・デラ・フランチェスカとイタリアの宮廷」展、2008年のプラド美術館の「ルネサンスの肖像」展などに出品されてきた。日本語版ウィキペディアによれば、1977年に洗浄されて館に入って以降、フランスの美術史家はピエロへの帰属で一致している。