《マリア・ポルティナーリの肖像》
- 作者
- ハンス・メムリンク
- 制作年
- 1470年
- 素材
- 板 / 油絵具
- 寸法
- 42.2 × 32.1 cm
- 所蔵
- メトロポリタン美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- 初期フランドル派
暗い背景の前で、黒い円錐形の頭飾りに薄いヴェールをかけた若い女性が、手を合わせて祈る。首もとには、真珠や宝石をちりばめた金の首飾りがきらめく。
概要
《マリア・ポルティナーリの肖像》は、ブルッヘで活躍した画家ハンス・メムリンクが1470年頃に描いた油彩の肖像画で、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する。館の記録では、樫の板に油彩で、画面は縦42.2センチ、横32.1センチ(板全体では縦44.1センチ、横34センチ)。夫トンマーゾ・ポルティナーリの肖像と対で、二枚は一組の作品として登録され(所蔵番号14.40.626–27)、1913年にベンジャミン・アルトマンの遺贈で館に入った。館の602室に展示されている。館は制作を1470年頃、1465年から1475年のあいだとしている。
画面の読み解き
館の解説によれば、フィレンツェ出身のトンマーゾ・ポルティナーリは、ブルッヘにあるメディチ銀行の支店長だった。1470年頃、14歳のマリア・バロンチェッリとの結婚の頃に、メムリンクにこの二枚の肖像を注文したとみられる。英語版ウィキペディアによれば、マリアは暗く平らな背景の前に、左を向いた斜めの姿で半身を見せ、手を合わせて祈っている。頭には、透ける薄布を垂らした、黒く比較的簡素な円錐形の頭飾り(エナン)をかぶり、首もとには真珠とルビーとサファイアをちりばめた金の首飾りをつける。指にはルビーとサファイアをはめた結婚指輪が見える。
技法・様式
館によれば、メムリンクは人物を、目をだます描かれた額縁の前に置き、人物が見る人のいる空間へ張り出しているように見せた。英語版ウィキペディアによれば、マリアの肘は、描かれた額縁にそろう見えない手すりに載っている。X線写真からは、頭飾りにもとは夫婦の頭文字「T」と「M」が真珠で描かれていたが、消されたことがわかった。美術史家メアリアン・エインズワースは、中央の聖母子の隣では華美すぎると考えられたのかもしれないと論じている。同じ記事は、本作をメムリンクの作品のなかでも保存状態がきわめてよいものの一つとする。
来歴
館によれば、二枚の肖像はもともと、中央に聖母子の礼拝像を置いた三連祭壇画の両翼だった。英語版ウィキペディアによれば、中央の板は失われている。トンマーゾの没後、1501年の財産目録に、中央に聖母、両翼に夫妻を描いた小さな貴重な板絵として記録され、息子フランチェスコから、フィレンツェのサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院に遺贈された。三連はおそらくナポレオン軍の占領の頃に分けられ、1870年にはディルク・バウツの作として売られた。その後、ローマのエリア・ヴォルピ、パリのヴィルロワ・ゴールドシュミットを経て、1910年に美術史家マックス・J・フリートレンダーの助言でアルトマンが購入した。
意義
英語版ウィキペディアによれば、本作はかつてフーホ・ファン・デル・フースやファン・エイクの作ともされたが、1902年のブルッヘの展覧会の頃にはメムリンクの作と認められていた。マリアは、ファン・デル・フースが同じトンマーゾのために描いた《ポルティナーリ祭壇画》(ウフィツィ美術館)の右翼にも、よく似た首飾りをつけた姿で描かれている。メムリンクの肖像は、その祭壇画の手本の一つになったのではないかとも考えられている。