《ルクレティア》
- 作者
- パオロ・ヴェロネーゼ
- 制作年
- 1580–1583年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 109.5 × 90.5 cm
- 所蔵
- ウィーン美術史美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- ヴェネツィア派
金色の髪を真珠で飾った女性が、うつむいて黄色い絹の布を胸もとに引き寄せる。もう一方の手には金の柄の短剣が握られ、その刃はすでに胸に向けられている。
概要
《ルクレティア》は、ヴェネツィアの画家パオロ・ヴェロネーゼが1580年から1583年頃に描いた油彩の歴史画で、ウィーン美術史美術館が所蔵する。館の記録では、キャンバスに油彩で、上端が切り詰められた画面は縦109.5センチ、横90.5センチ(額込みで縦128センチ、横109センチ)。所蔵番号はGG 1561で、絵画館の第III室に展示されている。ヴェロネーゼの晩年の作品で、日本語版ウィキペディアによれば《ルクレティアの死》とも呼ばれる。
画面の読み解き
館の解説によれば、ルクレティアは王の息子タルクィニウスに辱められたために自ら命を絶った。日本語版ウィキペディアによれば、この物語はオウィディウスの『祭暦』とリウィウスの『ローマ建国史』に伝わり、ルクレティアの死をきっかけにローマでは王政が倒されて共和政へ移ったとされる。画面では、金色の髪を真珠と宝石で飾ったルクレティアが、うつむいて左手で黄色い絹の布を胸もとに寄せ、右手に握った金の柄の短剣を胸に当てている。深い緑の衣が体を包み、首には真珠の首飾り、両腕には金の腕輪が光る。背後には花模様の掛け布がかかり、右には縞模様の布をかけた台がある。
技法・様式
館によれば、ヴェロネーゼは自害の瞬間を、美しいヒロインの舞台のように華やかな装飾的な姿に描き替えた。何が起きたばかりかを伝えるのは、悲しみに曇った顔と、宝飾品のように見える短剣だけだという。日本語版ウィキペディアも、悲劇のヒロインを装飾性豊かに描いた、演劇的な作品と評している。画面の大半は、光沢のある緑と黄の衣、花模様の掛け布、縞の布が占めている。
来歴
日本語版ウィキペディアによれば、本作は1659年に大公レオポルト・ヴィルヘルムの美術コレクションの目録にヴェロネーゼの作として記録され、大公の没後、インスブルックのアンブラス城に移された。館の来歴も、1663年にアンブラスの収集で確かめられる(疑問符つき)とし、1733年からはウィーンの帝室コレクションにある。1733年の目録ではレアンドロ・バッサーノの作とされ、その後もパオロ・ファリナーティやヴェロネーゼの工房の作とする説があったが、1976年に美術史家テリージオ・ピニャッティがヴェロネーゼの作と認めて以来、真筆として受け入れられている。
意義
館の解説によれば、本作は、聖書のユディトを描いた同じ画家の作品と対をなしていた可能性が高い。ルクレティアの自害とユディトの行いは、どちらも女性の勇気の例として繰り返し語られてきたものである。館は、ヴェロネーゼの《ホロフェルネスの首を持つユディト》も同じ第III室に展示している。