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《ダンテとベアトリーチェ》

Dante and Beatrice
《ダンテとベアトリーチェ》ヘンリー・ホリディ
Wikimedia Commons / ウォーカー・アート・ギャラリー / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
ヘンリー・ホリディ
制作年
1882–1884年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
142.2 × 203.2 cm
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アルノ川沿いの煉瓦敷きの道を、白い服のベアトリーチェが赤い服の連れと寄り添って歩いてくる。右の石垣のそばに立つダンテは胸に手を当てて見つめるが、彼女は目を向けない。奥には橋が架かる。

概要

《ダンテとベアトリーチェ》は、イギリスの画家ヘンリー・ホリディが1882年から1884年に描いた油彩の歴史画で、リヴァプールのウォーカー・アート・ギャラリーが所蔵する。館の記録では縦142.2センチ、横203.2センチのキャンバスで、所蔵番号はWAG 3125。館はこれをホリディの最も重要な絵とする。1884年のリヴァプール秋季展に出品され、館が買い上げた。

画面の読み解き

館によれば、主題は中世の詩人ダンテ(1265〜1321年)の自伝的な作品『新生』による。ダンテはベアトリーチェへの恋を隠すため、ほかの女性に心を寄せているふりをしていた。描かれているのは、その噂を耳にしたベアトリーチェが、ダンテへの挨拶を拒む場面である。白い服の女性がベアトリーチェで、モデルはエレノア・ブッチャー。隣はベアトリーチェの連れで、ダンテの友人グイド・カヴァルカンティの恋人だったモンナ・ヴァンナで、ミリー・ヒューズがモデルを務めた。ベアトリーチェのいかめしく彫像のような表情と、その決意を支えながらダンテの反応を振り返るモンナ・ヴァンナの姿勢が対照をなす。後ろの侍女は、名の知れた判事の娘キティ・ラシントンがモデルである。

技法・様式

館によれば、ホリディは場面を歴史に忠実に描くことにこだわり、1881年にフィレンツェを訪ねて調べた。現地からの手紙には、建物の線や遠近、それ以上に色の感覚をその場でつかみ、ダンテの時代の建物の断片をできるだけ集めて、細部を時代に合わせたいと書いている。舞台には、サンタ・トリニタ橋のたもとからアルノ川沿いの道越しにポンテ・ヴェッキオを望む場所を選んだ。調べの結果、川沿いの道は煉瓦で舗装され、13世紀にはすでに店が並んでいたことが分かり、画面に描き込んだ。ポンテ・ヴェッキオは1235年の洪水で壊れ、1285〜90年頃にはまだ工事中だったため、足場をかけた姿で描いている。館は、二人の女性を裸で作ってから衣を足した石膏の小像と、3点の習作も所蔵する。

来歴

館によれば、本作は1884年のリヴァプール秋季展から館が買い上げた。額のラベルには、題と画家名、額込みで700ギニーの値、ハムステッドの画家の住まいが記されている。1896年には、健康で芸術的な服装同盟がリヴァプールのセント・ジョージズ・ホールで催した、過去・現在・未来の服装を示す催しで、本作が活人画(タブロー・ヴィヴァン)として再現された。現在は館の第8室に展示されている。

意義

館は、本作のいちばんの見どころは、同じ館にあるロセッティの《ベアトリーチェの死とダンテの夢》のような精神的な内容よりも、中世のフィレンツェの眺めと人物の衣装にあるとみる。ベアトリーチェと侍女の衣装は中世のもので、モンナ・ヴァンナの衣装は古代に由来する。ホリディはのちの1892年、同盟の機関誌『アグライア』の編集者となった。