
1870年代の写真(ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1839–1927年
- 国籍
- イギリス
- 様式
- ラファエル前派の周辺
ヘンリー・ホリディ
ロンドン生まれのイギリスの画家。ラファエル前派の画家たちと親しく、歴史画と風景画のほか、ステンドグラスの下絵、挿絵、彫刻も手がけた。ルイス・キャロル『スナーク狩り』の挿絵でも知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
デラウェア美術館の画家解説によれば、1839年にロンドンで生まれた。幼いころから絵の才を見せ、ウィリアム・ケイヴ・トマスの手ほどきを受けてリーの画塾に通い、1855年、15歳でロイヤル・アカデミーに入学した。友人のアルバート・ムーアとシメオン・ソロモンを通じて、ロセッティ、バーン=ジョーンズ、ウィリアム・モリスらラファエル前派の画家たちと知り合う。1861年、モリス商会に移ったバーン=ジョーンズの後を継いでパウエル社のステンドグラスの下絵描きとなり、主にアメリカからの注文を中心に300件を超える仕事をこなした。1891年に独立し、ハムステッドに自分の工房を開いて、ステンドグラスやモザイク、七宝を手がけた。1864年に、モリス商会の刺繍も手がけた妻キャサリン(ケイト)・レイヴンと結婚した。1927年に没した。
様式
同館によれば、歴史を題材にした風俗画と風景画の画家であり、ステンドグラスの下絵描き、挿絵画家、彫刻家でもあった。建築家ウィリアム・バージェスのもとで、オックスフォードのウスター・カレッジの壁画や天井画(1863〜64年)、バージェスの自邸タワー・ハウスの家具の絵も描いた。リヴァプール国立美術館によれば、ダンテに深い関心を寄せ、歴史画を描く際には現地を訪ねて時代の細部を調べた。
代表作
ウォーカー・アート・ギャラリーの《ダンテとベアトリーチェ》(1882〜1884年)が最もよく知られる。1874年にはルイス・キャロルの依頼で『スナーク狩り』の挿絵を描いた。
影響
デラウェア美術館によれば、生涯を通じて社会主義者で、妻と娘ウィニフレッドとともに女性参政権運動を支え、パンクハースト母娘とも親しかった。リヴァプール国立美術館によれば、1892年に健康で芸術的な服装同盟の機関誌『アグライア』の編集者となった。