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《テッチェン祭壇画》

Das Kreuz im Gebirge (Tetschener Altar)
《テッチェン祭壇画》カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
Wikimedia Commons / ノイエ・マイスター絵画館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
制作年
1807–1808年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
115 × 110 cm
所蔵
ノイエ・マイスター絵画館 (Gal.-Nr. 2197 D)
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夕日の光が放射状に広がる空を背に、黒い岩山がそびえ、頂には小さな十字架が立つ。岩肌には樅の木が並び、十字架のキリスト像は沈む日の光を受けている。上部が半円の画面は、彫刻を施した金の額に収められる。

概要

《テッチェン祭壇画》は、ドイツの画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒが1807年から1808年にかけて描いた油彩画で、ドレスデンのアルベルティヌムにあるノイエ・マイスター絵画館が所蔵し、展示している。館での題は《山上の十字架(テッチェン祭壇画)》。画面は縦115センチ、横110センチで、フリードリヒ自身が意匠し、彫刻家クリスティアン・ゴットロープ・キューンが彫った金の額と台座がつく。額を含めると高さ183センチになる。

画面の読み解き

所蔵館の解説によれば、なだらかな平地が画面の奥へ導く伝統的な構図はなく、画面の中央に岩山の頂が険しくそびえ、沈む夕日の光線が背後から劇的に照らしている。画面の中心となる頂の十字架は、意外なほど小さく描かれる。宗教的な図柄で覆われた額によって、作品はすぐに祭壇画とわかるものになっている。

技法・様式

所蔵館によれば、本作は風景の表し方として根本的に新しい形をとり、あらゆる伝統と決別していた。フリードリヒは風景画を祭壇画の形式に収めることで、自らのプロテスタントの信仰を表した。同時に本作を、プロテスタントの君主としてナポレオンと戦っていたスウェーデン国王に捧げる政治的な表明ともした。フリードリヒはナポレオンを侵略者として嫌っていた。

来歴

所蔵館によれば、1808年のクリスマスにフリードリヒがドレスデンの人々をアトリエに招いて本作を公開すると、人々は驚き、静かな祈りの気持ちに包まれた。1809年、トゥーン=ホーエンシュタイン夫妻が、ボヘミアのデチーン(ドイツ語でテッチェン)の城のために本作を手に入れた。「テッチェン祭壇画」の名はここに由来する。

意義

所蔵館によれば、公開からまもなく、本作をめぐって激しい論争が起きた。館の目録が挙げる文献によれば、1809年に侍従バジリウス・フォン・ラムドーアが新聞『Zeitung für die elegante Welt』に、祭壇画のための風景画を批判する論文を寄せ、画家フェルディナント・ハルトマンやゲルハルト・フォン・キューゲルゲンらがこれに反論した。目録はこのほか、カールスの回想録やテオドール・ケルナーの書簡など、論争と評判を伝える同時代の文献を数多く挙げている。