
エミリオ・ソンマリーヴァ撮影の写真(1914年)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1882–1916年
- 国籍
- イタリア王国
- 様式
- 未来派
ウンベルト・ボッチョーニ
1882年に南イタリアのレッジョ・カラブリアで生まれ、1916年にヴェローナ近郊で没した画家・彫刻家。ミラノで未来派の運動を率い、近代都市の力と運動を、色と線で描き出そうとした。
略歴BIOGRAPHY
生涯
トレッカーニの『イタリア人名辞典』によれば、1882年10月19日、レッジョ・カラブリアに生まれた。役人の父の転勤に従ってジェノヴァ、パドヴァ、カターニアで育ち、1901年にローマへ出る。友人ジーノ・セヴェリーニとともに画家ジャコモ・バッラのアトリエに通い、1906年にはパリとロシアを訪れた。1907年の末にミラノに住み、1910年の初めに詩人マリネッティと知り合って、同年2月11日に「未来派画家宣言」に署名し、4月の「未来派絵画技術宣言」の起草では中心的な役割を担った。1911年秋にはカルロ・カッラとパリへ行き、翌年2月にベルネーム=ジュヌ画廊で最初の未来派展を開く。1912年4月には「未来派彫刻技術宣言」を発表した。第一次世界大戦に志願し、1916年7月に召集されてヴェローナ近郊ソルテの砲兵連隊に配属されたが、8月17日、落馬がもとで没した。
様式の変遷
同辞典によれば、1911年後半にパリでキュビスムを知るまで、その絵は分割主義とポスト印象派の探究に基づいていた。画家ガエターノ・プレヴィアーティやバッラの分割主義、彫刻家メダルド・ロッソに学び、おそらくムンクの絵も研究して、形の問題だけでなく感情や内容を画面に込めようとした。グッゲンハイム美術館によれば、パリでキュビスムを見たのちは角張った断片的な形へ移ったが、キュビスムのくすんだ色と静止した構図は退け、色と運動、いくつもの出来事の同時の総合に力を注いだ。『イタリア人名辞典』によれば、晩年の作品には、より静かなセザンヌ風の落ち着きが現れる。彫刻の多くは失われた。
代表作
《立ち上がる都市》(1910年、ニューヨーク近代美術館)、《街路の力》(1911年、大阪中之島美術館)、三部作《心の状態》(1911年、ニューヨーク近代美術館)、彫刻《空間における連続性の唯一の形態》(1913年)、《フェルッチョ・ブゾーニの肖像》(1916年、ローマ国立近代美術館)がある。
影響
大阪中之島美術館は《街路の力》を、未来派を象徴する名作とする。『イタリア人名辞典』によれば、没後の1916年12月から翌年1月にかけて、ミラノで回顧展が開かれ、マリネッティが図録に序文を寄せた。同辞典は、彫刻で初めて構成的な、さまざまな素材を組み合わせる探究を打ち出したことを、とりわけ重要な功績としている。