- 生没年
- 1400–1451年
- 国籍
- 神聖ローマ帝国(ケルン)
- 様式
- ケルン派(後期ゴシック)
シュテファン・ロッホナー
15世紀半ばのケルンで活躍した画家。ボーデン湖畔のハグナウに生まれ、ネーデルラント絵画の写実をケルン絵画の優美さと結びつけた。市参事会員にも選ばれたが、1451年にペストで没した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ヴァルラフ・リヒャルツ美術館によれば、おそらく1400年頃(館の作品データでは1400年から1410年頃)、ボーデン湖畔のハグナウで鍛冶屋の家に生まれた。ボーデン湖周辺の絵画よりも、ネーデルラントの美術、とりわけロベルト・カンピンとファン・エイク兄弟の作品から強い影響を受け、1432年の完成から間もない《ヘントの祭壇画》を見たとみられる。ケルンで最初に記録に現れるのは1442年で、国王フリードリヒ3世の来訪に伴う装飾の仕事をした。2年後には市庁舎に近い角地に二棟続きの立派な家を、大きな出費をして買い求めた。1447年にケルンの市民権を得て、同年の降誕祭に画家の組合の代表として市参事会員に選ばれ、1450年に再び選ばれたが、翌1451年、ケルンで2万人を超える死者を出したペストにより亡くなった。
様式
館によれば、巧みな画面の幾何学、さまざまな素材の迫真の描写、建築の舞台装置の組み立て、人体の自然な表現をフランドルで学び、それを聖ヴェロニカの画家や年長の聖親族の画家に見られる、ケルン絵画の愛らしさと神秘的な情感と見事に結びつけた。
代表作
ヴァルラフ・リヒャルツ美術館の《薔薇垣の聖母》(1440〜1442年頃)と《最後の審判》(1435年頃)、ケルンの市の守護聖人を描き、もとは市庁舎の礼拝堂にあった祭壇画「ドームビルト(大聖堂の祭壇画)」がある。館によれば、《最後の審判》は市庁舎の塔の参事会室で、二人の市長の席の上に掛けられていたとみられ、会議に出たロッホナーは自作を目にしていたかもしれない。
影響
館によれば、ロッホナーの作品はどれも署名が無い。1520年、旅の途中でケルンに立ち寄ったアルブレヒト・デューラーが心付けを払って「マイスター・シュテファン」の板絵を開けて見せてもらったと記していなければ、その名は忘れられていただろう。1823年からはこの記録がドームビルトを指すと考えられ、記録に残る画家シュテファン・ロッホナーと結びつけて、様式の比較によって作品群がまとめられた。1986年に美術史家マイケル・ウォルフソンがこの再構成の仮説としての性格を改めて指摘したが、ロッホナーの名は今も世界中で、中世ケルン絵画の質と輝きの代名詞であり続けている。