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ジャン=エティエンヌ・リオタールの肖像

《あごに手を当てた自画像》(1770年頃、ジュネーヴ美術・歴史博物館)

Wikimedia Commons / ジュネーヴ美術・歴史博物館 / Public domain
生没年
1702–1789年
国籍
ジュネーヴ共和国
様式
ロココ
本DB収録 1 点

ジャン=エティエンヌ・リオタール

Jean-Étienne Liotard

1702年にジュネーヴで生まれ、1789年に同地で没した画家。パステルの肖像で名高く、コンスタンティノープルからウィーン、パリ、ロンドン、オランダまで各地を渡り歩いて、宮廷や名士を描いた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

スイス歴史事典によれば、1702年12月22日、ジュネーヴの商人の子に生まれた。ジュネーヴでダニエル・ガルデルに学び、1723年からパリで細密画家ジャン=バティスト・マセに師事する。1736年にローマで出会ったイギリスのウィリアム・ポンソンビー(のちのベスバラ伯)とともに、1738年にコンスタンティノープルへ渡り、5年を過ごした。1743年から1745年にはウィーンで皇帝一家と貴族の肖像画家となる。1749年にパリの宮廷に迎えられ、1754年からはロンドンで王族の肖像を描き、オランダに滞在したのち、1757年にジュネーヴに腰を据えた。その後もウィーン、パリ、ロンドンを訪れ、1773年と1774年にはロイヤル・アカデミーに出品する。1778年にジュネーヴへ戻り、1789年6月12日、同地で没した。

様式の変遷

パステルの肖像で名高い。ドレスデン国立美術館によれば、オスマン帝国への旅ののち、豊かなひげをたくわえて毛皮の帽子をかぶり、「トルコの画家」を名のった。パステルで傷ひとつない、磁器のようになめらかな画面を作ったという。スイス歴史事典によれば、ジュネーヴに住んでからは様式がより厳格に、素描がより正確になった。晩年の論考では同時代に好まれた「見える筆触」を強く退け、ジュネーヴ近郊のコンフィニョンで、庭の果物をごく簡素な静物画に描いた。優美さや華やかさを好む18世紀のフランス美術とは違い、モデルを美しく飾ることを拒んで真実を求めた。

代表作

《マリア・テレジア》(1743年、オーストリア国立銀行蔵)、《ホット・チョコレートを運ぶ娘》(1744年頃、アルテ・マイスター絵画館)、《エピネ夫人の肖像》(1759年頃)、《あごに手を当てた自画像》(1770年頃、ジュネーヴ美術・歴史博物館)がある。

影響

ドレスデン国立美術館によれば、同時代にパステル画家として大きな成功を収め、この画材で最も名高かったロザルバ・カリエラも、《ホット・チョコレートを運ぶ娘》を「これまでに見た最も美しいパステル画」と評した。スイス歴史事典によれば、《エピネ夫人の肖像》は、のちにフローベールやアングルに称賛された。ロイヤル・アカデミーは、当時で最も優れた肖像画家の一人とする。

代表作MAJOR WORKS

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