
《自画像》(1858年頃、メトロポリタン美術館)
Wikimedia Commons / メトロポリタン美術館 / CC0- 生没年
- 1836–1904年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 写実的な静物画・肖像画、のちに象徴主義的なリトグラフ
アンリ・ファンタン=ラトゥール
1836年にグルノーブルで生まれ、1904年にノルマンディーのビュレで没したフランスの画家・版画家。マネら前衛の友人たちを描いた集団肖像画と、花の静物画で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
シュテーデル美術館によれば、1836年にグルノーブルで生まれ、パリで画家の父ジャン=テオドールから模写の手ほどきを受けた。1854年からエコール・デ・ボザールで学び、ルコック・ド・ボワボードランに師事した。批評家ザカリー・アストリュク、画家のドガ、マネ、ベルト・モリゾ、英国のフレデリック・レイトンやホイッスラーと交友を結んだが、はじめは認められなかった。1857年に知り合ったオットー・ショルデラーを通じて、クールベの絵画とワーグナーの音楽を知る。ホイッスラーの招きでたびたび英国に渡り、1864年にロンドンのロイヤル・アカデミーに出品した。1871年のパリ・コミューンの経験ののち友人たちと距離を置き、懐疑的で保守的な立場をとった。1904年、ノルマンディーのビュレで没した。
様式
同館によれば、集団肖像画によってフランスで認められ、しだいに静物画と肖像画を多く売るようになった。1862年には腐食銅版画の協会「ソシエテ・デ・ザクアフォルティスト」に加わる。1871年以降は象徴主義的な主題を描き始め、1880年代にはリトグラフを主な手段として、ワーグナーやベルリオーズに想を得た夢のような情景を生み出した。日本語版ウィキペディアによれば、印象派の画家たちと同世代で親しかったが、写実的な様式で描いた。英国ではとくに花の絵が人気を得た。
代表作
オルセー美術館には、前年に没したドラクロワの肖像を囲んで、画家自身やホイッスラー、マネ、ボードレールらを描いた《ドラクロワ礼讃》(1864年)と、マネを囲む仲間たちを描いた《バティニョールのアトリエ》(1870年)がある。
影響
オルセー美術館によれば、《バティニョールのアトリエ》は画家と前衛、とりわけマネとの結びつきをはっきり示す。描かれたルノワール、バジール、モネらは、まだ激しく批判されていた若い画家たちだった。