
肖像写真、1918年
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1890–1918年
- 国籍
- オーストリア
エゴン・シーレ
1890年にオーストリアのトゥルンで生まれ、1918年にウィーンで没した画家。クリムトに見いだされ、鋭い線と歪んだ身体の表現で自画像や人物を描き、オーストリアの表現主義を代表する。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1890年6月12日、ドナウ河畔のトゥルンに駅長の子として生まれた。1906年にウィーン美術アカデミーに入り、翌1907年にグスタフ・クリムトと知り合う。1909年にアカデミーを去り、仲間と「新芸術家集団」を結成した。1911年からモデルのヴァリー・ノイツィルとともに母の故郷クルマウ、次いでウィーン近郊のノイレングバッハに暮らすが、1912年4月にノイレングバッハで逮捕され、子どもの目に触れる場所にエロティックな素描を置いたとして有罪となった。1915年6月17日にエーディト・ハルムスと結婚し、その3日後に兵役に就く。1918年の第49回ウィーン分離派展では50点が並んで成功を収めたが、同年10月28日に妻エーディトがスペイン風邪で没し、3日後の31日、シーレも同じ病で28歳の生涯を閉じた。
様式の変遷
初期はクリムトに倣った装飾的な画面を描いたが、1910年頃から、骨ばった身体、引きつった手、見開いた目をもつ人物を、鋭く途切れがちな輪郭線で描くようになる。背景はほとんど描かず、人物を余白の中に孤立させた。油彩では固く塗り重ねた絵具とにごりを帯びた色で画面を組み立て、素描では鉛筆の一本の線とグワッシュの淡い彩色で身体を捉えた。1915年以降は線がやや穏やかになり、人物の量感と空間を描く方向へ移った。
代表作
《ヴァリーの肖像》(1912年、レオポルド美術館)と対をなす《ほおずきの実のある自画像》(1912年、同)、《死と乙女》(1915年頃、ベルヴェデーレ美術館)、《家族》(1918年、同)が知られる。
影響
露わな身体表現は生前から激しい批判を受けたが、20世紀後半に再評価が進み、今日では表現主義を代表する画家とされる。ウィーンのレオポルド美術館は、世界最大規模のシーレのコレクションをもつ。作品のいくつかはナチス期に持ち主から奪われ、《ヴァリーの肖像》をめぐる訴訟は、略奪美術品の返還が国際的に議論されるきっかけの一つとなった。