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《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》

D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》ポール・ゴーギャン
Wikimedia Commons / ボストン美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
ポール・ゴーギャン
制作年
1897–1898年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
139.1 × 374.6 cm

青と緑の森の水辺に、褐色の肌の人々が横長の画面いっぱいに並ぶ。右端では赤子が眠り、中央では若者が木の実をもぎ取り、左端では老女が頭を抱えてうずくまる。奥には両腕を上げた神像が立つ。

概要

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(仏: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)は、ポール・ゴーギャンが1897〜1898年にタヒチで描いた油彩画である。縦139.1センチ、横374.6センチの横長のキャンバスで、アメリカのボストン美術館が所蔵する。ワイルデンスタイン・プラットナー研究所のカタログ・レゾネ(W561)によれば、左上の隅に題が、右上に「P. Gauguin / 1897」の署名と年記が書かれている。題が問う人の生から死までを、南の島の人々と神像のいる森の風景に描き、画家自身がこれまでの最良の作と自負した大作である。

画面の読み解き

画家は1898年2月、友人の画家ジョルジュ=ダニエル・ド・モンフレへの手紙で、画面をこう説明している。上の二つの隅は黄色く塗られ、左に題、右に署名が入って、金色の壁に描かれて隅の傷んだフレスコ画のように見える。右下には眠る赤子と、しゃがむ3人の女。紫の衣の二人は思いを語り合い、遠近を無視して大きく描いた一人が、腕を上げて、自らの運命を考える二人を驚いて見つめる。中央の人物は木の実をもぎ、子どものそばには2匹の猫と白いヤギがいる。神像は両腕を上げて彼岸を指すようで、しゃがむ人物がその声に耳を傾ける。死の近い老女はすべてを受け入れてあきらめたように見えて物語を締めくくり、その足もとでトカゲをつかむ白い鳥が、むなしい言葉の無益さを表す。すべては森の小川のほとりの出来事で、奥には海と隣の島の山々が見える。

技法・様式

同じ手紙で画家は、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように写生と下絵を重ねたのではなく、結び目と凹凸の多い麻袋用の布に、筆先で一気に描いたと書く。見た目はひどく粗く、未完成と言われるだろうが、ためらいのない明確な構想によって、急いだ跡は消えて生命が立ち現れるという。色調を移ろわせながらも風景は端から端まで青とヴェロネーゼ・グリーンで、その上に裸の人物たちが大胆なオレンジ色で浮かび上がる。見たものではなく記憶と思索から画面を組み立てる総合主義を、壁画のような大画面に押し広げた作品である。翌月の手紙では、数学的な大きな誤りに気づいたが決して手を入れず、下描きのような状態のまま残すと述べた。

来歴

カタログ・レゾネによれば、画家は1898年に作品をパリのモンフレのもとへ送り、同年11月17日から12月10日まで、画商アンブロワーズ・ヴォラールの画廊で公開された。1901年頃、ヴォラールは画家が定めた1500フランで、ボルドーの収集家ガブリエル・フリゾーに売った。1913年にパリのバルバザンジュ画廊、1918年頃にオスロのヨルゲン・ブレーデル・スタングの手に渡り、ベルリンの画商アルフレート・ゴルトを経て、1936年にニューヨークのマリー・ハリマン画廊が入手した。ボストン美術館は同年4月16日にこれを購入し、所蔵番号は36.270。2009年の「ゴーギャン展」で名古屋ボストン美術館と東京国立近代美術館に出品され、初めてアジアで、そして日本で公開された。現在は同館の第255室に展示されている。

意義

画家は1901年7月、作家シャルル・モリスへの手紙で、題と画面を結びつけている。右の子どもは「どこから来たのか」の源、中央は「何者か」の日々の暮らし、左の死の近い老女は「どこへ行くのか」であり、木の陰の沈んだ色の衣の二人は、知恵の木のそばで知識そのものがもたらす苦しみを示すという。1899年3月の批評家アンドレ・フォンテナへの手紙によれば、画家は死を覚悟して、下準備なしに1か月で描き上げ、署名を急いだのちに大量のヒ素をのんだが、死には至らなかった。1898年2月の手紙で画家は、これまでのどの作品にも勝り、これ以上のものも同じようなものも二度と描けないだろうと書いた。ボストン美術館は本作を、画家の円熟期の頂点と位置づけている。