《ヤコポ・ストラーダの肖像》
- 作者
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
- 制作年
- 1567–1568年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 126 × 95.5 cm
- 所蔵
- ウィーン美術史美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- ヴェネツィア派
金の鎖を幾重にも掛け、毛皮をずり落とした男が、両手で古代の裸婦の小像を差し出しながら、顔は反対の方へ向ける。机の上には手紙や硬貨、古代の胴像が置かれ、右上には名前と肩書きを記した銘板が掛かる。
概要
《ヤコポ・ストラーダの肖像》は、ヴェネツィアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1567年から1568年頃に描いた油彩の肖像画で、ウィーン美術史美術館が所蔵する。館の記録では、カンヴァスに描かれ、縦126センチ、横95.5センチ、額を含めると縦153センチ、横125センチ。所蔵番号は絵画館81で、館の絵画館II室に展示されている。左上には「TITIANVS.F」の署名がある。
画面の読み解き
館が Google Arts & Culture に寄せたツェツィーリア・ビショフの解説(2010年)によれば、ストラーダの重い金の鎖は彼が宮廷の一員であることを示し、剣と、右肩からずり落ちたように見える毛皮は、その裕福さを物語る。机の上には手紙、硬貨、古代の胴像が置かれ、ストラーダ自身は、プラクシテレスの「首飾りをつけるアフロディテ」をローマ時代に写した、完全な姿で残る小像を手にしている。頭上の背景には2冊の本があり、ストラーダ自身の著作かもしれない。館の記録によれば、手紙には「ヴェネツィアの尊きティツィアーノ・ヴェチェッリオ殿へ」という宛名が読める。右上の銘板には、ローマ市民で皇帝の古物商にして軍事委員であるヤコポ・デ・ストラーダが1566年に51歳であったことが記されている。
技法・様式
ビショフによれば、本作はヴェネツィア滞在中に描かれ、ティツィアーノの晩年の始まりを特徴づける、厚く落ち着きのない絵具の置き方を示している。ストラーダの姿勢は、ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニが描いた彫刻家アレッサンドロ・ヴィットリアの肖像に影響を受けたもので、ティツィアーノの肖像のなかでは類がない。腕と頭が逆の方向へ動くことで、人物に独特の躍動が生まれ、見る者との間に距離がつくられている。右の銘板は、図案があまりにバロック的に見えることから、かつては後から加えられたと考えられ、館の作品頁も今なお「後の書き加え」と記すが、ビショフはより新しい研究の結果がその見方に反するとしている。
来歴
ビショフによれば、マントヴァ出身のヤコポ・ストラーダ(1515〜1588年)は、画家、建築家、金細工師で、美術の専門家として引く手あまただったが、本業は古代美術の取引だった。1553年には自分の大きな硬貨の収集について学術的な本を出版し、4年後にウィーンへ移って、皇帝フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世に仕えた。1566年に「皇帝の古物商」の称号を授けられ、8年後に貴族に列せられた。ストラーダはティツィアーノとも取引があった。館の記録によれば、本作はレオポルト・ヴィルヘルム大公の収集に属していた。日本語版ウィキペディアによれば、本作は1659年と1673年にダフィット・テニールス(子)による大公の絵画の目録『絵画の劇場』に収められた。
意義
館の作品頁もビショフの解説も、ティツィアーノが、皇帝の古物商のときに強引な商売のやり方をひそかに批判しようとしたのかどうかは、未解決の問いだとしている。館は、ストラーダを建築家、金細工師、求められた美術の専門家であり、何よりも国際的に活動した古美術商だと紹介している。