- 生没年
- 1515–1570年
- 国籍
- ハプスブルク領ネーデルラント
- 様式
- ヴェネツィア派
ランベルト・スストリス
アムステルダム出身の画家。1530年代にヴェネツィアへ移り、ティツィアーノの協力者としてアウクスブルクの皇帝の宮廷でも働いた。油彩とフレスコで、肖像と風景を得意とした。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、アムステルダムに生まれ、ユトレヒトでヤン・ファン・スコーレルかマールテン・ファン・ヘームスケルクに学んだ可能性がある。1534年から1538年の間にヴェネツィアに来て、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの協力者として、ヴェネツィアのほか、1548年と1550年から1552年にはアウクスブルクの皇帝の宮廷でも働いた。のちにはパドヴァとヴェネツィアで活動した。生没年について、同館は1515年から1520年頃の生まれ、1570年頃の没とする。ドイツの人名事典『新ドイツ伝記』(2013年、D. ディーマーと P. ディーマー執筆の息子フリードリヒの項)は、1510年から1515年頃に生まれ、1560年より後に没したとし、ランベルトゥス・ダムステルダムなどの呼び名も伝える。
様式
ナショナル・ギャラリーによれば、油彩とフレスコの両方で仕事をし、肖像画と風景で知られた。同館の《ソロモン王の前のシバの女王》は、旧約聖書の、南アラビアから来たシバの女王が香料や金、宝石を携えた大勢の従者を連れてソロモン王の知恵を確かめに訪れた場面を描く。
代表作
ミュンヘンのアルテ・ピナコテークは、ティツィアーノが1548年にアウクスブルクで描いた《カール5世の肖像》について、ティツィアーノの構想にもとづく制作の大部分を、おそらくスストリスが担ったとしている。
影響
『新ドイツ伝記』によれば、スストリスは1548年と1550年から1551年にアウクスブルクで、アウクスブルク司教オットー・トルフゼス・フォン・ヴァルトブルクやフッガー家のためにも働いた。息子のフリードリヒ・スストリス(1540年頃〜1600年)は、フィレンツェでヴァザーリのもとで働いたのち、父の人脈を頼ってアウクスブルクのフッガー家の館の装飾を手がけ、1580年からはミュンヘンで、バイエルン公ヴィルヘルム5世の宮廷の芸術全体を指揮した。