
レンブラント《画家ヤン・アセリン》1647年頃、エッチング、メトロポリタン美術館
Wikimedia Commons / メトロポリタン美術館 / CC0- 生没年
- 1614–1652年
- 国籍
- ネーデルラント連邦共和国
- 様式
- オランダ黄金時代の絵画
ヤン・アセリン
1614年頃までに生まれ、1652年にアムステルダムで没したオランダの画家。ローマで学び、イタリア風の風景画を多く描いた。翼を広げて巣を守る白鳥を描いた《威嚇する白鳥》で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
アムステルダム国立美術館の素描目録の画家解説によれば、ノルマンディーのディエップ出身のユグノーの一家に生まれ、兄弟とともにアムステルダムに住んだ。生年はわかっていないが、最初の作品が1634年なので、1614年頃かその少し前と考えられる。1635年末以降にローマへ渡り、オランダ人画家の団体ベントフェーヘルスに加わって、手の障害から「クラベッチェ(小さな蟹)」とあだ名された。帰途のリヨンで1644〜1645年頃に結婚し、1645年にはパリで富豪ランベールの邸宅のために風景画を描いた。1647年4月にはアムステルダムに戻り、1652年に市民権を得たが、同年9月28日に遺言を残して、5日後に埋葬された。
様式の変遷
同じ解説によれば、修業ははっきりしないが、初めはエサイアス・ファン・デ・フェルデらにならって騎馬の戦いの絵を描いた。ローマではピーテル・ファン・ラールや、ボト兄弟の影響を受けた。帰国後はほとんどイタリア風の風景画だけを描き、例外はわずかな動物画と、1651年のアントニス堤防の決壊のような出来事を描いた絵だった。パリでは、イタリアでの写生をもとに版画集の下絵も描いた。
代表作
《威嚇する白鳥》(1650年頃、アムステルダム国立美術館)のほか、ランベール邸のために描き、今はルーヴル美術館にある3点の風景画が知られる。
影響
同じ解説によれば、1647〜1648年にはレンブラントが、画架の前に立つアセリンの肖像をエッチングにした。弟子として知られるのはフレデリック・デ・ムシュロンだけだが、ニコラース・ベルヘムやウィレム・スヘリンクスらに大きな影響を与えた。