
ジェームズ・ノースコート《ヘンリー・フューズリの肖像》1778年
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1741–1825年
- 国籍
- スイス
- 様式
- ロマン主義(新古典主義ともまたがる)
ヨハン・ハインリヒ・フュースリー
スイスのチューリッヒに生まれ、ロンドンで活動した画家。牧師から画家に転じ、《夢魔》で名を上げた。文学に取材した幻想的な歴史画を描き、ロイヤル・アカデミーの絵画教授も務めた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
スイス歴史事典(HLS)によれば、1741年2月6日にチューリッヒで生まれ、1825年4月16日にロンドンのパトニーで没し、セント・ポール大聖堂に葬られた。牧師になるため神学を学び、1761年に叙任されたが、その間にも多くの素描を描いた。1762年、友人ラーファーターと代官の不正を告発したことで咎められ、翌年チューリッヒを離れた。1764年にロンドンへ移り、翻訳や執筆、家庭教師で身を立てたが、1768年、ジョシュア・レノルズの勧めで画家を志す。1770年から1778年はローマで独学し、古代彫刻とミケランジェロを手本とした。ロンドンに戻ると《夢魔》などで歴史画家として名を上げ、1790年にロイヤル・アカデミーの正会員、1799年に絵画教授、1804年にキーパー(館長職)となった。
様式の変遷
HLS によれば、当時の主な様式である古典主義とロマン主義のどちらにもはっきりとは属さない。最もすぐれた仕事は、ホメロス、ダンテ、シェイクスピア、ミルトンなど文学に取材した作品である。1799年と1800年には、ミルトンの作品の場面を描いた47点を集めた「ミルトン・ギャラリー」を開いたが、成功しなかった。理論では古典主義を土台としながら、疾風怒濤とロマン主義の考えも取り入れた。シュテーデル美術館によれば、イギリスでは「荒々しいスイス人」と呼ばれ、崇高の感覚を求めて、古典的な絵画の伝統や約束事にとらわれなかった。
代表作
《夢魔》(1781年、デトロイト美術館)と、その縦長の版(1790〜1791年、フランクフルト・ゲーテハウス)のほか、《三人の魔女》(チューリッヒ美術館)、チューリッヒ市庁舎のために描いた《リュトリの誓い》が知られる。
影響
HLS は、画家としても美術理論家としても同時代の人々に強い影響を与えたとする。一方、スイスには長く《リュトリの誓い》のほか公の場で見られる作品がなく、足跡はわずかだった。テートは2006年、フュースリーとウィリアム・ブレイクを「ゴシック」の文脈でとらえ直す展覧会を開いた。