- 生没年
- 1267–1337年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- ゴシック
ジョット・ディ・ボンドーネ
1267年頃にフィレンツェ近郊のヴェスピニャーノに生まれ、1337年にフィレンツェで没した画家。量感のある人物と人間らしい感情、奥行きのある空間を描き、中世のイタリア絵画を大きく変えた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ウフィツィ美術館によれば、フィレンツェの北、ムジェッロ地方ヴィッキオのヴェスピニャーノに生まれた。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、主にフィレンツェで活動し、ローマで修業した可能性があるとする。メトロポリタン美術館によれば、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂では、チマブーエらとともに聖フランチェスコの生涯の壁画に加わった。1303年頃、パドヴァの貴族エンリコ・スクロヴェーニの注文でアレーナ礼拝堂(スクロヴェーニ礼拝堂)の壁画を手がけ、フィレンツェではサンタ・クローチェ聖堂のバルディ家とペルッツィ家の礼拝堂を飾った。1328年から1332年にはナポリで働いた。フィレンツェ大聖堂事業団によれば、1334年、当時存命の最も重要な芸術家として大聖堂の鐘楼の建設を任され、設計して着工したが、3年後に没した。
様式
メトロポリタン美術館によれば、ジョットの人物は線ではなく量感でとらえられ、その表す感情は型どおりでなく、多様で人間らしい。ほとんど測れるほどの奥行きをもつ新しい絵画の空間を生み出した。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、中世初期のビザンティン様式からイタリア絵画を解き放った第一の人物とする。
代表作
パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画(1303〜1305年)、サンタ・クローチェ聖堂のバルディ家とペルッツィ家の礼拝堂の壁画、《オンニサンティの聖母》(1300〜1305年頃、ウフィツィ美術館)が知られる。パドヴァ市によれば、スクロヴェーニ礼拝堂には聖母とキリストの生涯が3段に描かれ、入口の壁を最後の審判が占める。
影響
メトロポリタン美術館によれば、その壁画は同時代のダンテ、ボッカッチョ、ペトラルカに革新として称えられ、ジョットは近代ヨーロッパ絵画の父とみなされている。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、その重要性が同時代のダンテに認められ、のちにヴァザーリによって強調されたとする。鐘楼の工事は弟子のアンドレア・ピサーノ、続いてフランチェスコ・タレンティが引き継ぎ、1359年に完成した。