
『低地ドイツの名高い画家たちの肖像』(1572年)の版画の肖像
Wikimedia Commons / CC0- 生没年
- 1410–1475年
- 国籍
- ブルゴーニュ公国
- 様式
- 初期フランドル派
ディルク・ボウツ
初期フランドル派の画家。ハールレムの出身とされ、1448年より前にルーヴェンに移って市の画家となった。感情を抑えた静かな人物から「沈黙の画家」と呼ばれる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
フランドル美術コレクションの年譜によれば、1410年から1420年の間に北ネーデルラント、おそらくハールレムに生まれ、伝承ではハールレムで修業した。1448年より前にルーヴェンに移ったとされ、1448年には裕福な家の娘カタリーナ・ファン・デル・ブリュッヘと結婚して2人の息子と2人の娘をもうけた。息子のディルク(子)とアルブレヒトも画家となる。1464年3月15日、聖体の同信会と《最後の晩餐》の契約を結び、1468年2月までに完成させた。同年5月にはルーヴェン市から、市庁舎のための正義の場面と《最後の審判》を注文され、1472年に初めて「市の画家」と記録される。1474年に再婚し、1475年5月6日に没して、最初の妻とともにフランシスコ会の聖堂に葬られた。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの強い影響を受けたとする。
様式
年譜によれば、豊かで明るく温かな色彩の調和のとれた構図と、背の高い、内にこもった人物が特徴で、表現は感情に乏しく、「沈黙の画家」と呼ばれる。初期フランドル派の写実と記念碑性を備え、主題と構図にはロヒールの、現実の細やかな観察にはヤン・ファン・エイクの影響がうかがえる。1462年の《男の肖像》(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)は、窓から風景を見せる最も早い肖像画とされる。
代表作
ルーヴェンの聖ペテロ教会の《聖エラスムスの殉教》(1464年以前)と《最後の晩餐》(1464〜1468年)、市庁舎のための《オットー3世の正義》(ブリュッセル王立美術館)、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある小さな三連祭壇画「ブラバントの真珠」、ブルッヘの聖救世主大聖堂の《聖ヒッポリュトスの殉教》がある。
影響
年譜によれば、2人の息子が16世紀まで父の芸術の伝統を受け継ぎ、ハンス・メムリンクやヘラルト・ダーフィトのほか、南北ネーデルラント、ドイツ、フランス、スペインの画家たちもその影響を受けた。窓越しに風景を見せる「窓の風景」の工夫は、西ヨーロッパの美術にすばやく広まった。