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アントニオ・デル・ポッライオーロの肖像

ヴァザーリ『芸術家列伝』第2版(1568年)の版画の肖像

Wikimedia Commons / Public domain
生没年
1431–1498年
国籍
フィレンツェ共和国
様式
初期ルネサンス(フィレンツェ派)
本DB収録 1 点

アントニオ・デル・ポッライオーロ

Antonio del Pollaiuolo

フィレンツェの金細工師・画家・彫刻家。弟ピエロと工房を営み、動きのある人体の表現で知られた。版画《十人の裸体の男の戦い》は15世紀で最も影響力のある版画となり、晩年はローマで教皇の墓碑を手がけた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

イタリア人名事典(1966年、M. キアリーニ)によれば、1431年か1432年にフィレンツェで、鶏肉商ヤコポの6人の子の長男として生まれた。ポッライオーロの呼び名は父の生業に由来する。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、金細工師として、またギベルティの工房で彫刻家として修業し、1459年までに自らの工房を構えて画家・彫刻家を名乗った。事典によれば、1457年にフィレンツェ洗礼堂の祭壇のための銀の十字架の下部を任され、1460年頃にはピエロ・デ・メディチの注文でメディチ宮のためにヘラクレスの功業の大きなカンヴァス画3点を描いた(失われた)。1466年からは弟ピエロとサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂のポルトガル枢機卿の礼拝堂の祭壇画と壁画を手がけた。晩年はローマに移り、1493年に教皇シクストゥス4世のブロンズの墓碑を完成させ、続いてインノケンティウス8世の墓碑に取り組んだ。1498年2月、おそらく4日にローマで没し、弟とともにサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂に葬られた。

様式

ナショナル・ギャラリーによれば、兄弟のうち一般にはアントニオがより偉大な画家とされ、絵画と彫刻の名声の基となった素描の力を培った。事典は、力強い線と、とりわけ人体に表れる動きの感覚、繊細な解剖の研究をその特徴に挙げ、ボッティチェッリら同時代の画家に強い影響を与えたとする。16世紀の彫刻家チェッリーニは、アントニオを「ひとり見事に素描した」とたたえた。

代表作

兄弟で描いた祭壇画《聖セバスティアヌスの殉教》(1475年完成、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、ポルトガル枢機卿の礼拝堂の祭壇画(ウフィツィ美術館)、ブロンズの小像《ヘラクレスとアンタイオス》(1480年頃)、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の教皇の墓碑がある。

影響

ナショナル・ギャラリーによれば、刺繍の図案、版画、七宝など、ほかの素材の仕事でも名高く、版画《十人の裸体の男の戦い》は15世紀で最も大きく、最も影響力のある版画となり、動く男性の体の手本を後の画家たちに与えた。

代表作MAJOR WORKS

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