フリードリヒ・エドゥアルト・マイヤーハイム《若きアドルフ・メンツェルの肖像》1839年、キャンバスに油彩、ベルリン旧国立美術館
Wikimedia Commons / ベルリン旧国立美術館 / Public domain- 生没年
- 1815–1905年
- 国籍
- ドイツ
アドルフ・フォン・メンツェル
1815年にブレスラウ(現ヴロツワフ)で生まれ、1905年にベルリンで没したドイツの画家。ほぼ独学で、フリードリヒ大王の伝記の挿絵と歴史画で名声を得て、19世紀ドイツで最も成功した画家となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
英語版ウィキペディアによれば、1815年12月8日、プロイセン領シュレージエンのブレスラウ(現ポーランドのヴロツワフ)に石版工の子として生まれ、1830年に一家でベルリンへ移った。ベルリン旧国立美術館が Google Arts & Culture に寄せた紹介によれば、1832年に父を亡くしてベルリンの石版印刷の工房を継ぎ、生涯の大半をこの町で過ごした。ベルリンの美術学校に通ったのは半年ほどで、ほとんど独学だった。1898年に貴族に列せられて「フォン・メンツェル」と名乗り、1905年2月9日にベルリンで没した。
様式の変遷
英語版によれば、1839年から1842年にかけて、フランツ・クーグラーの『フリードリヒ大王伝』のために400点の素描を描き、木口木版の技法をドイツに広めた。並行して独学で油彩を学び、大王の生涯を描く歴史画と、日常の光景を鋭い観察で描いた絵を数多く残した。1840年代半ばの室内や庭の絵は、のちの印象派を先取りするような自由な観察で知られる。
代表作
《サンスーシのフルート・コンサート》(1850〜1852年、ベルリン旧国立美術館)、《鉄圧延工場(近代のキュクロプスたち)》(1872〜1875年)が知られる。
影響
館の紹介は、メンツェルを19世紀ドイツで最も名高い画家とし、最も重要な作品にフリードリヒ大王の生涯やプロイセンにまつわる歴史の場面を挙げる。英語版によれば、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒと並ぶ19世紀ドイツの二大画家の一人とされ、美術史家ユリウス・マイアー=グレーフェは「印象派の先駆者」とみた。