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フィリップ・ファイトの肖像

肖像

Wikimedia Commons / Public domain
生没年
1793–1877年
国籍
ドイツ
様式
ナザレ派
本DB収録 1 点

フィリップ・ファイト

Philipp Veit

1793年にベルリンで生まれ、1877年にマインツで没したドイツの画家。ローマでナザレ派の中心の一人となり、のちフランクフルトのシュテーデル美術研究所の館長を務めた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

『フランクフルト人名事典』によれば、1793年2月13日、ベルリンの銀行家ジーモン・ファイトの子として生まれた。母は哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの娘で、のちに文人フリードリヒ・シュレーゲルと再婚した。母と継父のもとイェーナ、パリ、ケルンで学び、1808年からドレスデンで絵を学ぶ。1813〜14年には解放戦争に義勇兵として加わった。1815年末にローマへ移り、1830年まで主に聖書の主題を描いて、ナザレ派の中心の一人となった。1830年10月にフランクフルトへ移り、シュテーデル美術研究所の館長と絵画の教授を務めたが、運営側と対立して1843年1月に辞任した。1853年にマインツへ移って市の絵画館の館長となり、1877年12月18日に同地で没した。

様式の変遷

同事典によれば、1832年までにシュテーデルの古代彫刻の間の天井画を描き、ここで初めて古代神話の主題に取り組んだ。続いて1834年から1836年に、シュテーデルの壁に大きなフレスコを描く。批評家は素描の力の弱さを指摘したが、油彩の肖像は、とくにその色によって高く評価されてきた。晩年には美術理論の著作をいくつも書いた。

代表作

シュテーデルのフレスコ《キリスト教によるドイツへの芸術の導入》(1834〜1836年)は、寓意の両翼《イタリア》《ゲルマニア》とともに残り、1877年にキャンバスへ移された。ほかにゲルマン国立博物館の《ゲルマニア》(1848年)、《マリー・ベルヌスの肖像》(1838年)が知られる。

影響

同事典によれば、シュテーデルでの弟子には、アルフレート・レーテル(1836年から)とエドゥアルト・フォン・シュタインレ(1839年から)がいる。館長としては、ナザレ派が手本とした流派や時代の作品を中心に買い入れ、規模は小さいながら同時代の画家の作品も収めた。

代表作MAJOR WORKS

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