
ルーヴル美術館の《フィレンツェ・ルネサンスの5人の巨匠》に描かれたウッチェロ
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1397–1475年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
パオロ・ウッチェロ
フィレンツェの画家。ギベルティの工房で修業し、ヴェネツィアでモザイクも手がけた。国際ゴシックの装飾的な人物と、線遠近法への強い関心を併せ持ち、《サン・ロマーノの戦い》で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
イタリア人名事典(2014年、L. スバラーリオ)によれば、本名はパオロ・ディ・ドーノで、1397年頃、おそらくフィレンツェで、理髪外科医ドーノ・ディ・パオロの子に生まれた。16世紀の伝記作者ヴァザーリは、鳥(ウッチェッロ)を愛したことから「ウッチェッリ」と呼ばれたと伝える。1407年に、洗礼堂の扉を手がけていた彫刻家ギベルティの工房に徒弟として名が記され、ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば1414年頃までそこで学んだ。1425年から1430年頃にはヴェネツィアで、サン・マルコ大聖堂の正面のモザイクを手がけた。フィレンツェに戻ると、1436年にフィレンツェ大聖堂に傭兵隊長《ジョン・ホークウッドの騎馬像》を描き、1440年代後半にはサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の回廊に《大洪水》を描いた。1467年から1469年には息子ドナートとウルビーノで祭壇画の裾絵を描いている。1469年の税の申告では、年老いて仕事がないと記した。1475年12月12日頃にフィレンツェで没し、希望どおりサント・スピリト聖堂に葬られた。
様式
ナショナル・ギャラリーによれば、ウッチェロは、国際ゴシックの人物の様式と装飾的な効果への愛着を、初期ルネサンスに特徴的な線遠近法への深い関心と結びつけた。線遠近法の研究の先駆者で、大きなフレスコ画では、その技法をさまざまな目的に用いた。大聖堂の騎馬像では錯視の効果(トロンプ・ルイユ)のために遠近法を操り、《大洪水》では、おそらくドナテッロの影響のもとで、表現を強めるために用いた。一方、邸宅の装飾では、色と表面の模様を重んじて、そうした効果を控えている。
代表作
1432年のサン・ロマーノの戦いを描いた3枚の板絵(ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ウフィツィ美術館、ルーヴル美術館)がある。事典によれば、注文主はメディチ家ではなくリオナルド・バルトリーニ・サリンベーニで、のちにロレンツォ・デ・メディチが手に入れた。ほかにロンドンの《聖ゲオルギウスと竜》、オックスフォードのアシュモリアン博物館の《森の狩り》(1470年頃)が知られる。
影響
事典によれば、ヴァザーリはウッチェロとドナテッロの生涯にわたる友情を伝えている。パドヴァの邸宅の中庭に描いた巨人の像は失われたが、マンテーニャが賞賛したという。