
1899年頃の写真(ロペス美術館・図書館所蔵)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1857–1899年
- 国籍
- フィリピン
- 様式
- アカデミック美術
フアン・ルナ
1857年にフィリピンのバドックで生まれ、1899年に香港で没した画家。スペインで学び、1884年のマドリードの全国美術展で《スポリアリウム》が金賞を受けた。フィリピン革命期には外交の使節も務めた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
日本語版と英語版のウィキペディアによれば、1857年、フィリピン北部の北イロコス州バドックに生まれ、1861年に一家でマニラへ移った。アテネオ・デ・マニラで学位を得、商船学校に学んだのち、ロレンソ・ゲレーロやマニラの美術学校で絵を学ぶ。1870年代にスペインへ渡り、マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入り、画家アレホ・ベラについてローマでも学んだ。1881年、《クレオパトラの死》がマドリードの全国美術展で銀賞を受け、マニラ市の奨学金を得る。1884年の同展で《スポリアリウム》が金賞を受け、1885年にパリへ移った。1892年、パリで妻と義母を射殺して逮捕され、翌年無罪とされた。1894年に帰国し、1896年には独立運動に関わったとして弟アントニオとともに捕らえられ、翌年恩赦を受ける。フィリピン革命政府の使節としてパリとワシントンに派遣され、1899年に香港で没した。
様式
英語版ウィキペディアによれば、同時代のヨーロッパの美術アカデミーの流儀にならい、文学や歴史の場面を、しばしば政治的な含みをこめて描いた。古典的な均衡にもとづく寓意画では、人物が演劇的な身ぶりをとることが多い。パリに移ってからは歴史画に飽き足らなくなり、1891年頃からは同時代の社会の苦しみを写す写実的な作品へ向かった。
代表作
《スポリアリウム》(1884年、フィリピン国立博物館)、《クレオパトラの死》(1881年)、スペイン上院の注文による《レパントの海戦》、マニラ市の奨学金の条件として描いた《血の盟約》(1886年、マラカニアン宮殿)、労働者の葬列を描いた《名もなき人々》(1890〜1891年)、晩年の大作《民衆と王たち》が知られる。
影響
英語版ウィキペディアによれば、1884年の金賞は、同じ展覧会で銀賞を得たフェリックス・レスレクシオン・イダルゴの受賞とともに祝われ、ホセ・リサールら改革運動の人々の記憶に深く刻まれた。フィリピンで最初に評価された画家の一人とされる。