
《砂時計と頭蓋骨のある自画像》(1776年頃、ウフィツィ美術館)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1733–1810年
- 国籍
- ドイツ
ヨハン・ゾファニー
1733年にフランクフルト近郊で生まれ、1810年にロンドンで没した画家。ローマで学んだのちロンドンに渡り、劇場の場面や国王一家の肖像で名を上げた。ロイヤル・アカデミーの最初期の会員の一人。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロイヤル・アカデミーの人名解説によれば、1733年3月13日にフランクフルト・アム・マイン近郊で生まれた。父はレーゲンスブルクの宮廷に仕えた職人の親方だった。17歳で画家を志してローマへ行き、画家で理論家のアントン・ラファエル・メングスに学んだのち、数年にわたってヨーロッパ各地の貴族や君主のために描く。1760年にロンドンへ渡ったが、英語を流暢に話せず、上流社会に入るのに苦労した。早くからの支援者は俳優で劇作家のデイヴィッド・ギャリックで、劇の場面や肖像が版画になって広く知られた。1760年代半ばから1770年代末までは、シャーロット王妃と国王ジョージ3世の注文で王子・王女たちの集団肖像などを描く。1769年に国王の指名でロイヤル・アカデミーの会員となった。1772年に王妃の注文でイタリアへ渡り、6年をかけて《ウフィツィ美術館のトリブーナ》を描いたが、これを機に王室との縁は切れた。1783年からおよそ6年をインドで過ごし、帰国後は病に悩まされた。1810年11月11日に没した。
様式
同解説によれば、劇の場面や家族を、室内でくつろぐ姿のまま描き込む小型の集団肖像で人気を得た。1771年から1772年の《ロイヤル・アカデミーの会員たち》は、創設期の男性会員たちが裸体モデルの写生をする場を描く。インドでは、ラクナウのイギリス人社会を描いた《モーダント大佐の闘鶏》などを残した。
代表作
《ウフィツィ美術館のトリブーナ》(1772〜1777年、ロイヤル・コレクション)、《ロイヤル・アカデミーの会員たち》(1771〜1772年、同)、《モーダント大佐の闘鶏》、晩年の《パリの虐殺》(1794年)が知られる。
影響
細部まで描き込んだ室内と、そこに集う人々の肖像を組み合わせる作風は、18世紀のイギリスで好まれた「団欒図(カンヴァセーション・ピース)」の代表例とされる。王室の注文作の多くは今もロイヤル・コレクションにある。