
ナショナル・フォト社撮影の写真、1922年
Wikimedia Commons / アメリカ議会図書館 / Public domain- 生没年
- 1873–1952年
- 国籍
- アメリカ合衆国
ハワード・チャンドラー・クリスティ
1873年にオハイオ州で生まれ、1952年にニューヨークで没したアメリカの画家、挿絵画家。理想化されたアメリカ女性「クリスティ・ガール」で人気を集め、のちに肖像画と歴史画を描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
スミソニアン・アメリカ美術館によれば、1873年にオハイオ州モーガン郡で生まれた(クリーヴランド公共図書館などは1872年とする)。同図書館によれば、1890年にニューヨークへ出てアート・ステューデンツ・リーグに学び、ウィリアム・メリット・チェイスの個人指導も受けた。1893年には国立デザイン・アカデミーに入る。1898年から雑誌の挿絵で身を立て、米西戦争ではセオドア・ルーズヴェルトの義勇騎兵隊に従軍して戦場を描いた。第一次世界大戦後は挿絵を離れて肖像画に転じ、1930年代からは歴史の場面の大画面に取り組んだ。1952年3月3日、ニューヨークで没した。
様式の変遷
スミソニアン・アメリカ美術館によれば、最もよく知られるのは、1910年代から1920年代初めの理想化されたアメリカ女性「クリスティ・ガール」で、先行する「ギブソン・ガール」の後継とされる。この女性像は多くのポスターや雑誌の挿絵に登場し、第一次世界大戦では若者に入隊を呼びかけるポスターにも使われた。肖像画では、政治家から芸能人、社交界の人々までを描いた。
代表作
議会の注文で描いた《アメリカ合衆国憲法署名の場面》(1940年、アメリカ合衆国議会議事堂)が知られる。クリーヴランド公共図書館によれば、1945年にはオハイオ州議会議事堂で、1795年のアメリカ先住民との和平を描いた壁画《グリーンヴィル条約の調印》が披露された。スミソニアン・アメリカ美術館は、肖像画の代表にアメリア・イアハート、エディ・リッケンバッカー、カルヴィン・クーリッジを挙げる。
影響
議事堂建築家庁によれば、クリスティは当時最も人気のあった挿絵画家、肖像画家の一人だった。スミソニアン・アメリカ美術館は、雑誌や本の挿絵と米西戦争の素描で大衆の人気と名声を得たとし、その作品は生前も没後も多くの展覧会で紹介されてきたとする。